ガンを切らずに10年延命-関根 進

再開!元週刊ポスト編集長の目からウロコの体験秘話!

第177回
縁は異なもの――小説「河童芋銭」を読む

長い休みとは、普段は読めない本にめぐり合うことがあって、
特に時代が閉塞していた明治・大正・昭和・・・、
旧習に押し流されることなく、自然の心、純粋な心を大事にして
「自由を謳歌した」先人たちの小説や評伝に触れることは、
いまの時代にも、人生指針の参考になって楽しいものですね。

僕は、この長い休みの間に、
「河童芋銭----小説小川芋銭」(正津 勉・著)
という小説を読みました。
「河童芋銭(かっぱ うせん)」とは、
茨城県の牛久沼のほとりに住み、
明治から昭和初期にかけて活躍した日本画家の愛称です。
つまり、河童の絵をたくさん描いた画家として有名な
小川芋銭(おがわ うせん)のことです。
みなさんの中にも、その珍妙な名前を知っている人、
その「河童百図」という大作を見たことがある人が
おられるでしょう。
富国強兵、そして忠君忠孝といった強権政治に縛られた時代を
画と俳句をもって自由奔放に風刺。
画号の「芋銭」ですら
<自分の絵が芋を買う銭(カネ)になればいい>と
付けたほどですから、
自然体に飄々と長い人生を渡っていった粋人でした。

では、なぜ、「河童芋銭----小説小川芋銭」が
僕の手元に送られて来たかと言いますと、
邱永漢さんの主宰する邱友会が縁で知り合った人に、
西山裕三さんがおられまして、
丹波の銘酒「小鼓」の醸造元・西山酒造場の会長さんです。
この方から「河童芋銭」という本は贈られてきたのです。

毎年、その西山裕三からは、年末年始の挨拶状が来ますが、
名産「丹波初黒(黒豆煮)」と共に、
父君の謙三さんこと、俳号・西山小鼓子の名句を必ず
添えて送ってくださるので、
近頃、珍しい洒落者だなあと感心しつつ、
お付き合いをさせていただいているわけです。
以前にこのコラムでも少し紹介し、
さらに「いのちの手帖」第2号で、
<【名句探訪】 俳人・西山小鼓子のこと>と題して、
父君の名句の数々や碑文をいくつか掲載させていただいたので、
読んでいる読者の方もおられると思います。

丹波・西山家は、さらに遡って、
祖父の西山泊雲さんが、高浜虚子の主宰する「ホトトギス」の
重鎮という、まさに粋人の家系で、
銘酒「小鼓」は高浜虚子が「小鼓」と命名し、
「ホトトギス」発行所を通じて 
全国的に売り出して家運を挽回したと言う逸話もあるくらいの
文才・学才の家柄でもあるわけです。

では、なぜ、この本が突然、送られてきたか――といいますと。
小川芋銭の次女・桑子が、
西山泊雲の長男・西山小鼓子のもとに嫁いでおり、
つまり、小川芋銭が西山裕三さんの
母方の祖父に当たる――ということ、さらに、
拙著「大正霊戦記―大逆事件異聞 沖野岩三郎伝」を読んで、
僕の母方の祖父である作家・沖野岩三郎が
<天皇暗殺未遂・大逆事件>に関係が深かったと知り、
「じつは、小川芋銭もその首謀者・幸徳秋水の
シンパだったようなのです」
「なんともおかしな縁ですね」といって贈ってくれたのが、
この「河童芋銭」という小説だったわけです。

たしかに、小川芋銭が新聞等に発表した
農民の姿や河童の姿には反骨と風刺とロマンが漂い、
社会主義の論客・幸徳秋水の影響が強いともいわれています。
100年ほどまえの因縁めいた話とはなりますが、
小川芋銭はアナーキストの論客・幸徳秋水の主宰する
「平民新聞」「直言」という新聞に
盛んに挿絵と俳句を書くほど親しい仲で、
明治41年に出した芋銭の漫画漫文集「草汁漫画」の序文は
幸徳秋水が書いているではないですか?


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2009年5月12日(火)

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