第170回
「和魂洋才」より「和魂養才」のすすめ
●アメリカ発のグローバリズム大崩壊の嵐の中で
いま見直すべき「和魂」(にぎみたま)=日本心性史の深奥――
≪いま「和魂洋才」より「和魂養才」のすすめ≫
――あなたは記紀を読んだことがあるか?
改めて、百年前の<大逆事件>告発作家・沖野岩三郎の
『天皇の研究』を解読する――と題する小論抜粋の続きです。
*
幸徳秋水以下12名は絞首刑!
以降、この天皇暗殺未遂・大逆事件とは
いまでは想像もつかない暗黒裁判だが、
反骨のクリスチャン作家・沖野岩三郎は、
これを官憲のでっちあげによる冤罪事件、国策捜査、
言論思想封殺事件として、その不当性を訴え、
100冊を超える小説や随想で告発を続け、
「非戦、自由、平等」「魂の自由国建設」を叫び続けたために
不穏危険分子・要視察人(甲)として、太平洋戦争の終了時まで
特高から監視され続けた稀有の人物なのである。
(興味のある読者は
拙著「大逆事件異聞=大正霊戦記=沖野岩三郎伝」が
増刷発売中なので読んでいただきたい)
というわけで、事件後、『沖野岩三郎』どころか
『腰野弱三郎』と揶揄され、
執拗な刑事の監視の目をくぐりながらも、
和歌山紀南・新宮で国賊扱いを受けた盟友や遺族たちの
名誉回復と支援活動に奔走。
身近らを『魂の霊戦作家』と位置づけ、
それだけにとどまらず、日本という国家や国民全体が
背負ってしまった宿命的ともいえる
歴史の現実を諦観するのではなく、
ここからが「自由への相克だ」と覚悟を決めて、
大正〜昭和期を突っ走った在野の思索家なのである。
一見、武張った論議を好み、
欧米の進取思想の先取りの上手な論者ほど、
官憲の弾圧を受けるとコロリと宗旨変え、思想転向するものだが、
沖野は軟弱思想家に見えて、
その対極の豪快にして信念の強い人だった。
「私は弱いときに強い」――
これぞ沖野を支える信仰だったと聞く。
やがて、日中戦争、太平洋戦争と戦火が広がる中で、
多くの著名な作家たちが従軍記者となって参戦し、
あるものは国威発揚の詩歌を書いて
軍閥体制におもねっていくなかで、
あえて天皇現人神説のバイブルであり、
国家神道の聖域である記紀神話の解明作業に踏み込み、
来るべき「非戦、自由、平等」の民主国家の建設のために、
日本精神の連綿たる伝統は「荒魂」にあらずして「和魂」にあり
とする信念を秘めて独自の筆戦に挑んだわけだ。
ついに日中戦争勃発のさなか、
沖野は「日本建国史考」(恒星社刊、昭和13年)
「日本神社考」〈恒星社刊、昭和12年〉という解釈書を上梓し、
やがて訪れる終戦を期待、予感しつつ
「書き改めるべき日本の歴史―天皇の研究」と題する
全4巻にわたる「和魂・古代史論」を書き進め、
終戦明けの昭和21年に、いちはやく全巻を刊行した。
というわけで、沖野岩三郎の建国神話論考には、
軍閥による戦時体制下にあっても、
国威発揚、八紘一宇といった武張った歴史書とは対極に位置した。
まるで童話の世界を垣間見るような
和やかで明るいトーンが不思議なほどに
行間に満ちていた。それは自由思想を弾圧し、
庶民を格差差別する支配者の体制史としてではなく、
あくまで庶民・大衆の心性史の目線を堅持したかったからだろう。
(以下略)
*
この小論≪いま「和魂洋才」より「和魂養才」のすすめ≫は、
まだ序論にすぎないのですが、あまり、小難しい話が続いては、
読者のみなさんも飽きるでしょうし、
ゴールデンウイークの休みも終わりましたので、
続きは、次の夏のお盆休みの頃にでも掲載したいと思います。
これからは、ますます、わが身、わが心について、
腰を落ち着けて、じっくり考える時代になったと思います。
明日から、また<ガンの話>を致します。
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