第169回
「荒魂」史観から「和魂」史観へ
「これからの日本と日本人」について、小論抜粋の続きです。
*
●「荒魂」史観から「和魂」史観へ
いったい日本は「君主国」?「共和国」?
と親子世代が共々血迷いながら、
ますます我々の喪失感は増していく。
古典を熟読玩味すれば、
古来からの優れた知恵はたくさんあるものである。
たとえば、古来の仏教思想のみならず、
日本伝統の食養生発想に
「身土不二」(身体【身】と環境【土】とは不可分だ)
という概念がある。
心だけでなく体が捉えた思想こそ、
マイナスをプラスに変えるパワーを発揮する、
自然でしなやかなエネルギーとなるはずだ。
しかし、和魂洋才と称する米国モノマネ志向が幅を利かせ、
大地に足腰をしっかと踏みしめて
伝承する気概も術(すべ)も失ってしまった。
これからは、ずばり「和魂洋才」から「和魂養才」の時代である。
さて、いくら古代神話を論議しよう、日本の歴史を見直そう、
理想の自由国家を建設しようといっても、
これまでは武闘や策謀に目を奪われた
「武張った」歴史観や歴史番組ばかり、
つまり「荒ぶる」歴史ドラマが持て囃されすぎた。
これは煽情主義を伴う愚民化現象の危険をはらんでいる。
いわずもがなだが、日本の古代神の性格にしても、
荒々しい荒魂(あらみたま)と、
平和をもたらす和魂(にぎみたま)がある――
こうした由来来歴も親子世代が知らずして、
新年を迎えると神社に拝みに行ってはおみくじを引く。
その場しのぎの成果一辺倒主義の蔓延となる。
たとえば、日本書紀・巻第一にあるように、
「大国主神(おおくにぬし)、
亦の名は大物主神(おおものぬし)」とされ、
大物主命は大国主命の和魂である。
混沌とした古代日本を安定させるために
大国主命(荒魂)の性格が中心となって国造りを行われ、
国を平定するときは大物主神(和魂)の性格を持って
豊穣や平安を祈る力が必要と考えられてきた。
古代天皇の歴史も古事記は別にして、
その後、中国の史書を模倣して改作した日本書紀なども、
まさに「荒ぶる歴史書」のルーツになった感があるが、
言語学、考古学、民俗学、
さらに大衆集団心理に基づいた心性史学までを統合し、
欧米の借り物ではなく、
これからの日本特有の「身土不二、自然調和」
に基づいた記紀研究が必須だ――と筆者は考えている。
最近「大正霊戦記」という歴史人物評伝を書く機会があり、
百年近く前の軍閥政権下の言論弾圧にもめげず、
日本独自の「民主国家建設」の理想に燃えて、
各紙誌で活躍した沖野岩三郎という
クリスチャン作家の秘伝を上梓した。
いまの“平和ボケ”や“記憶喪失症”の時代ではなく、
「日本は神国なり」として、
庶民を戦争に駆り立てた大正から昭和前期の時代に、
戦闘的な「荒魂(あらみたま)史観ではなく、
調和と言分け(ことわけ)の「和魂」(にぎみたま)史観で、
古代天皇史を解き起こしたユニークな作家のようである。
当時は新聞連載小説作家としてだけでなく、
論評、随筆、史書から童話まで「改造」「雄弁」「中央公論」
といった論壇誌にも多作していた。
この博覧強記タイプの沖野岩三郎という異色作家について、
もう今の時代、知る読者は少ないが、
その独特のコスモポリタ二ズムで
「天皇の研究」に挑む執念がすさまじいので
この本から沖野岩三郎の人となりを少し紹介したいと思う。
なんだ、ただの軍閥政権に迎合した軟弱な作家の話かと
早飲み込みする読者もいるかも知れないが、さにあらず。
この男は、いまから100年ほど前の明治43年に発覚した、
自由主義思想家で天才肌の論客・幸徳秋水を主謀とする大逆事件で、
グループの共犯嫌疑を受けながらも
奇跡的に逮捕・処刑を免れた数奇な体験を持つ反骨の作家だった。
|