第168回
古代神話を読んだことがあるか?
閑話休題。ゴールデンウイークの長い休みに考えてみたい、
「これからの日本と日本人」について、小論抜粋の続きです。
題して、
●アメリカ発のグローバリズム大崩壊の嵐の中で
いま見直すべき「和魂」(にぎみたま)=日本心性史の深奥――
≪いま「和魂洋才」より「和魂養才」のすすめ≫
*
たとえば、3000年の日本の歴史の中で、
この60余年の間、当然のようにタブー視されつづけた
日本国家誕生神話について、はたして
無視して通り過ぎることが出来るのか?それは不可能だろう。
現存する古事記や日本書記の記述を日本人の記憶から
“焚書”としたり、
歴史のアーカイブスから抹消削除することなど出来ないからだ。
いま政治外交の基本戦略の不透明さのみならず、
ますます野放しにされている官界、政財界、
はたまた教育界の倫理低下が、
家庭や個人の人心荒廃のみならず、
子ども達の精神状態を不安定にしている・・・。
天皇現人神を祭り上げた軍閥君主制の戦前とは違って、
天皇は人間宣言をされ、民主的な“君主国家を表徴”しているいま、
なにも中国や韓国に指摘されるまでもあるまい。
どの国にも国家誕生譚・古代神話はある。
我々だけがいたずらにタブー視せず、むしろ闊達に批判し
解釈を加えて創案を凝らす・・・こうした当たり前のことから
日本人のアイデンティティの課題について
踏み込むべき時代が来ている。
もちろん、歴史のプロセスで時の政権が、
自らの都合のよいように功利的に史実を捻じ曲げて、
支配者の神聖を唱えたり、国威発揚を煽ったり、
はては“八紘一宇”を号令したりしてきた
歴史の澱(おり)についても見逃すわけにはいかない。
ところで、南北朝時代の北畠親房、
江戸時代の新井白石や本居宣長、
平田篤胤らの国学者の論考のみならず、
明治〜昭和期の神聖天皇制批判で国賊扱いされた
東京帝国大学の久米邦武教授の「神道ハ祭天ノ古俗」論文や
美濃部達吉教授の「天皇機関説」憲法学説を持ち出すまでもないが、
戦後の昭和30年代には、一転して、皇国史観を裏返した
「邪馬台国の実証論争」が盛んにマスコミを賑わしたものだった。
東京大学東洋文化研究所教授・江上波夫氏の
「騎馬民族征服王朝説」が注目を浴び、
共著者の明治大学政治経済学部教授・鈴木武樹氏とは
懇意であったため、
「古代天皇陵などをどんどん発掘して真実の歴史が明らかしよう」
といった威勢の良い発言も耳にした自由な雰囲気の時代もあった。
しかし、功利的未来志向に爆走する高度成長社会と共に
古代史論議は下火となり、
マスコミも皇室芸能ニュース化でお茶を濁すようになったから、
ますます戸惑いの中で皇室が背負ってきた
“宿命的”な歴史の系譜に触れることはタブー視されていった。
ちなみに、いまさら古代神話を見直そうなどというと、
戦前のアナクロな国粋主義者といわないまでも、
おっちょこちょいの“小愛国者”と勘違いされかねないが、
現実には、子どもから中高年齢層まで、
日本の人口の大半がどこの国でも読んでいる
自国の建国神話を教わる機会を失っている――
これでは日本と日本人のアイデンティティを考える上での
解釈、論議、判断、創案がイビツになることは否めない。
“国家の品格”や“祖国愛”云々でお茶を濁すレベルではない。
国の伝統と歴史を知らずして育った子どもたちに、
果たして未来を見据える安堵感や目標感、
さらに想像力、批判力、創造力が心身に備わるはずがない。
良きにつけ、悪しきにつけ、
官僚の作る画餅や絵空事に似た作文の類や、
米国借り物の論理では子々孫々に手渡すべき、
確固たるとした建国ならぬ養国の設計図など描けるのか?
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