ガンを切らずに10年延命-関根 進

再開!元週刊ポスト編集長の目からウロコの体験秘話!

第167回
閑話休題――「日本と日本人」について

閑話休題。
ゴールデンウイークとは、家族サービスの季節でありますが、
大著の本を読む、将来設計に思いをめぐらす、
この国の行く末を考える・・・
といった,普段は忙しくて出来ない<精神的作業>に
じっくりと取り組むいい機会でもあります。

というわけで、ガンのテーマはお休みして、
数回に分けて、僕が日頃から感じている
「これからの日本と日本人」について、
小論を抜粋させていただこうと思います。
拙著・歴史評伝「大正霊戦記」の続編の一部とも言うべき内容です。

題して、
●アメリカ発のグローバリズム大崩壊の嵐の中で
いま見直すべき「和魂」(にぎみたま)=日本心性史の深奥――
≪いま「和魂洋才」より「和魂養才」のすすめ≫

――あなたは記紀を読んだことがあるか?
改めて、百年前の<大逆事件>告発作家・沖野岩三郎の
『天皇の研究』を解読する。

               *

●日本国は、いったい「君主制」なのか「共和制」なのか?
最近の議会やマスコミは枝葉末節の事象ばかりに拘って、
わが国の将来に関わる肝心なことをタブー視する、
なんとも腰の引けた風潮がある。
たとえば、日本国は、いったい「君主制」なのか「共和制」なのか、
日本国の元首はいったい誰なのか、
象徴天皇なのか、国民なのか――、
あなたはこの疑問に素直に答えられるだろうか? 
もう1つ、クイズを出そう。
「日本は立憲君主制と言っても差し支えない」
とする政府見解が述べられたのはいつか?
答えは1973年6月28日、参議院内閣委員会でのこと、
答弁したのは内閣法制局長官である。

1億総健忘症化を責め立てるわけではないが、
中国からの靖国や韓国からの竹島の批判にしても、
ただ過去の戦争責任云々だけでなく、
日本のアイデンティティが見えにくいとする隣国からの不安・・・
曖昧な民族体質に批判の目が向けられ、
そればかりか日本国内のさまざまな喪失感や
不安心理を増徴しているのが、昨今、気になる症状である。

最近、気鋭の作家・山口泉氏による
「だから日本はいい国になってほしい・・・」
(雑誌「世界」(2006年12月号)
と題した、韓国有数の論客・李泳橲(リヨンヒ)
漢陽大学名誉教授とのインタビュー記事を読み返す機会があり、
なるほどと頷かされたことが1つある。

「日本は有史以来、
ただの1度も真の共和国となったことがありません」
という山口氏の問いに
「日本人は天皇によって安心立命を得るというか・・・
天皇制に自己陶酔をかけられているところがあるのではないですか」と頷き応じた。
これに続けて李教授は、平成13年12月23日、
天皇が”朝鮮半島との縁“について発言されたことが
韓国では評判となった話題に触れ、
その後の日本のマスコミの「無反応」ぶりについて
鋭く疑問を呈している。
民族自主を熱く語る、
この特集の詳細については「世界」を紐解いてほしいが、
指摘されると当たり前のことのように思う読者も多いだろうが、
なかなか、これが難しい課題を抱えている。

かりに、新たな共和制を創案するにしても、
また日本独自の君主制を創案していくにしても、
歴史のプロセスに目を瞑(つむ)ったまま、
いたずらに「未来志向」を標榜するくらい危ういものはないだろう。
憲法改正にしても,戦争の放棄のみならず、
前文と天皇の項目はどう考えるか?
日本の抱える最も重要な宿命的課題をはらんでいるといえよう。
繰り返すが、歴史のプロセスに目を瞑った、
画餅のごとき「未来志向」は危うい。
せいぜいが、政治屋の選挙目当ての示威運動か、
財界屋の目先の銭勘定、
はたまた官僚の自己保身術に悪用されるのが
オチだからで、泣きを見るのは、
ひたすら税金を搾り取られて格差を受ける庶民、
そして、その子々孫々だからである。

               *

続きは、また明日。


←前回記事へ

2009年5月2日(土)

次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ