第150回
10年前の桜の季節に“病院脱走”
桜が散って葉桜になる頃になると思い出すのは、
10年前に手術を断って、
ガン病棟を“脱走”するかの如くに退院した時のことです。
無謀にも中途退院して、よく10年も生き延びることができたナァと、
今思うと冷や汗が出ますが、
幸運にも、この春で10回目の櫻を見ることができました。
延命・丸々10年、あしかけ11年目を迎えることができたわけです。
「100人のうち80人は助からない」といわれる
食道ガンの手術を拒否して退院。
ガンに負けない体質を作る在宅養生法を
続けたおかげで、幸運にもいのちを拾うことができたわけです。
もちろん、ガンの闘病法とは、
ガンの種類や症状や年齢によって、それぞれ違うわけですが、
巷間、喧伝されておるほど「ガン手術が万全でない」とすれば、
ひとつの治療法として、僕のような選択肢もあるわけです。
さて、僕がどのようにして、ガン病棟を脱出したか?
そのときの模様は、退院後に
「ガンは宿命 癒しは運命」という本に書きましたので、
丸々10年前の出来事の一部を再現してみましょう。
*
1999年4月――。
「手術はイヤだ! どうしても退院しよう!」
僕がガンで入院したのは1999年の2月、
無謀な癌病棟脱走を決行したのは4月も終わるころだった。
「このノッペリとした医者の顔つきは危ない!」
土壇場の直感というヤツだろう。
あなたの胸をどうしても切開したいと迫られたとき
不吉な閃光が脳天を突き抜けた。
「先生は僕のガンを治す方法は手術以外にないというわけですね。
じゃあ、申し訳ないけれど退院させてください。」
怖さがこの一言を喉から絞り出させた。
間違いなく、僕の運の分かれ道だった。
癌病棟の主治医の部屋を、妻の手をとって飛び出した。
「お医者さんは神様です。おっしゃるように手術をお願いします」
もしかしたら、こう口走っていたかも知れないのに。
人間せっぱ詰まると、とんでもないことを口走る。
とっさの売り言葉に買い言葉がツキを引き込んだ。
いまにして思えば、5〜6センチもある
ソーセージ大の癌玉が消えたのも不思議なら、
このあがきとも思える病院脱走の一言が口をついたのも奇跡だった。
覚悟が決まった。
もう二度と、この外科病棟の敷居をまたいだりしないぞと、
何度も何度も腹に言い聞かせて脱走した。
僕は、胸元に人面鬼にも似た
醜い面構えの癌玉のツメ跡を抱えながら
<自宅療養>という食道癌との孤独な闘いの道を選んだ。
入院したときは木枯らしが吹きすさんでいたというのに、
あたりはサクラの木々がすっかり緑の葉を茂らせていた。
病室から眺める都心の高層ビルの街のあちこちに、
春の霞の薄雲がほんのりとたなびいていた。
設備が最上級といわれる都心の大学病院の、それも、
消化器外科に丸2ヶ月入院して、
さあ、5月のゴールデンウイーク明けには、
40センチの食道の全摘出手術をするぞ、
と意気込んでメスを研ぎ澄ましていた主治医の鼻っ柱を
へし折ってしまったことになる。(略)
「このまま手術しないでいると、
7ヶ月か8ヶ月で必ず再発するからね」
黒ぶちめがね(注・主治医)は
ノッペリとした声で脅しをかけた。(以下略)
*
これが、丸々10年前の春、サクラの季節・・・
僕の人生を変えた
「ガンは宿命 癒しは運命」の始まりだったのです。
|