第128回
ますます拡大する「いのちの格差」
今発売中の拙著「ガンを切らずに10年延命」では、
『日本は長寿病弱国でいいのか!ますます拡大するいのちの格差』
ということについて、次のように書きました。
<今、僕たちが抱えている不安の最大のキーワードは
「病弱長寿(びょうじゃくちょうじゅ)」
という言葉ではないでしょうか?
なんとも嫌なフレーズですが、
2人に1人がガンのような難病患者になる
不安ばかりではありません。
65歳以上の高齢者が5人に1人、
さらに2055年には2.5人に1人という
少子高齢社会が危惧されています。
年金はどうする?医療費はどうなる?介護は大丈夫?・・・
と政府もお手上げの難問山積で、健康や病気の問題にとどまらず、
生活そのものの「格差」が問題になってきました。
「貧乏人は治療を受けられない」
「後期老齢者は早く死ね」・・・といった、
なんとも情けない社会を生み出してしまいました。
この「いのちの格差」の蔓延は、モラル低下すら起こしています。
子どもが親を殺す、親が子どもを見離す・・・
50年前、100年前の日本から見たら、
とんでもない「病弱長寿国」が物心両面で
起っているといって言い過ぎではないでしょう。>
医療システムの不都合が生む
長寿病弱国・日本の「いのちの格差」は、
とくにガン治療の分野で顕在化していると思います。
その元凶は、ガン治療に関する
「医師サイド」と「患者サイド」の
<いのち>の考え方に対する<格差>です。
有名医師の書いたガン指南書を読めば分かりますが、
「切る、叩く、焼く」=「手術、抗がん剤、放射線」という
標準治療=局部攻撃治療に固執して一歩も出ようとしません。
患者には「インフォームドコンセント」(説明責任)が保障され、
セカンドオピニオン(第2の医師の意見)が許されると、
いかにもバラ色のガン治療が行われているように書かれていますが
「医師の言うことを聞かない患者は悪い患者だ」といった、
時代遅れのパタナーイズム(父親主義)といいますか、
本音の話がチラチラと見え隠れしています。
そうした本では、決して、化学抗ガン剤が
「毒薬」「劇薬」として分類されている事実は書かれていません。
標準治療の激しい副作用のマイナス面は殆ど触れられません。
最もひどいケースでは「ガンそのものではなく、
手術や化学劇薬の副作用や合併症で再発転移を起こす」・・・
僕はそうした同友の悲しい姿をたくさん見てきました。
そうした「ガン病棟の真実」についても触れられません。
先日、読んだあるエリート医師のガン実用書では、
<ガン患者は「勝ち組」と「負け組」に分かれる。
だから早期検査、早期治療で「勝ち組」になろう。
もし「余命半年」と宣告されて「負け組」になったら、
緩和病棟でじっくり鎮痛療法を受けることができる。
死を恐れてはいけない>といった意味合いのことが
語られていました。
さらに <だから死ぬのなら交通事故などの突然死よりガンがいい>
という発言が続くに及んでは、
長くガンと闘ってきた1人の患者として僕は唖然としました。
たまらなく悲しい気持ちになりました。
ズバリ、「ガン患者を“壊れた機械”としか診ない」・・・
それは許せないことです。
患者は生身です。
患者は「死ぬのならガンがよい」などと思っていません。
心底から元気で長生きしたい、可能な限りの治療を受けたい、
それが患者の願いです。
「患者を壊れた機械」としか考えない医師――、
「木を見て森を見る」ことが出来ない医師――、
これが見識だとすれば、
ますます日本は長寿病弱国に成り下がるのではないか?
荒治療する医師と苦悩するガン患者の間には、
いま、大きな、大きな「いのちの溝」が開いているように
思えてなりません。
医師と患者の考え方のギャップ=「いのちの格差」は
余りにも大きすぎるのです。
<いのちの選択肢><ガン治療の選択肢>とは
もっともっと広いものでしょう。
あなたはどう考えますか?
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