第87回
再び、マクロビオティック玄米菜食法のすすめ
宮沢賢治の菜食主義については、
「いのちの手帖」第5号に、
作家で、詩人・野口雨情氏のご令息である野口存彌さんが
<「一日二玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ」
宮沢賢治と食物連鎖>と題するエッセイを寄稿されている――
という話の続きです。
<親友に当てて宮沢賢治が
「私は春から生物のからだを食ふのをやめました」
と手紙に書いたのは、
盛岡高等農林学校を卒業した直後の、大正7年5月のことでした。
菜食主義の実行を宣言したのです。
「私はまえにさかなだったことがあって
食はれたにちがひありません」とも記しています。
前世では1匹の魚だったが、
他の生きものに食べられたのではないかというのが
賢治の自分についての認識でした。
生きものは他の弱い生きものを捉えて
食べることにより生命を維持し、
その弱い生きものはさらに弱い生きものを食べて
生存していたのです。
食物連鎖といわれるこのような営みの繰り返しのうえに
生きものの世界全体が成り立っているのです。
だから、食物連鎖はどの生きものにも
普遍的に当てはまるいわば法則ですが、
賢治にはそのことが納得いきませんでした。
それは文字通り弱肉強食であり、
そういう醜い連鎖から一刻も早く離脱したい、
解放されたいという願望から発した
菜食主義の実践でした。(以下略)>
もちろん、こうした仏教的な発想の持ち主だけではなく、
トルストイ、ガンジー、賀川豊彦といった
無抵抗主義者のみならず、
幸徳秋水やその仲間につらなる
欧米の無政府主義者・社会主義者などなど、
近代心性史を左右するような知的な人たちが,
それぞれに「健康と平和」を目指して、
菜食主義を励行していたわけです。
賀川豊彦は昭和23年(1948年)に、尾崎行雄らとともに、
世界連邦運動協会(WFM・JAPAN)を設立しました。
マクロビオティック玄米菜食法の始祖・桜澤如一は
昭和22年(1947年)、世界政府協会を設立しました。
いまは、とくに、日本生まれのベジタリアンともいうべき、
「マクロビオティック玄米菜食法」が、
始祖・桜澤如一をはじめとして、
それに続く、食箋指導者の久司道夫さんや
インスティテュート(専門家)の方々の働きによって、
アメリカやヨーロッパに普及し、
セレブといわれる文化人や芸能人に浸透し、
歌手のマドンナや俳優のトム・クルーズなどが
実践しているのは有名な話です。
さらに、それが逆輸入されて、日本の女性を中心に、
新しく「健康と平和」を愛する人たちが、
僕たちのまわりに増えてきたことは、とてもうれしいことです。
わが身の「いのちと食事」に照らして、
「生命連鎖」についても「地球環境」についても、
それこそ「地球平和」についても、
見直すことが出来る時代が来ているのではないか?――
まだまだ少数派ですが、
マクロビアン(マクロビオティック=大いなる生命哲学の実践者)
と呼ばれる穀物菜食主義者が増えれば、
じょじょにじょじょにですが、、これからの生き方も、
世の中も、変えられると、僕は思っています。
あなたはどう考えますか?
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