第79回
賀川豊彦の詩集「涙の二等分」を読む
昨年暮、神戸文学館(※1)の企画展「賀川豊彦の文学」に
立ち寄った話の続きです。
前回も、少し書きましたが、
拙著「大正霊戦記―大逆事件異聞
沖野岩三郎伝」の続編では、
沖野岩三郎と親友の賀川豊彦という、大正期を風靡した、
二人の牧師作家が、「ペンと弁舌」をもって、
いかに軍閥強権体制の中で、
来るべき「民主社会の実現」に向かって
ひたひたと「非戦、自由、平等」の闘い続けたか?
――そのあたりが続編の大きなポイントになるはずですが、
その話は、また稿を改めて紹介させてもらいたいと思います。
ちなみに、神戸文学館の企画展「賀川豊彦の文学」は、
2月24日まで(水曜、年末年始は休み)まで開かれています。
神戸文学館は、明治37年(1904)、
関西学院のチャペルだった由緒ある建築で、
赤レンガ造りのチャペルの外観が残こる素敵な場所です。
賀川豊彦のほか、小泉八雲、谷崎潤一郎、遠藤周作、司馬遼太郎、
林芙美子などど33名の作品や資料が展示されています。
この賀川展でとくに僕が見たかったのは、
沖野岩三郎の所蔵していた
賀川の長編小説「死線を越えて」の直筆の掛け軸が
特別展示されていることでした。
これは最晩年に、沖野が娘婿の関根文之助に命じて
(じつは文之助は僕の父で、母が沖野岩三郎の養女なのです)
出身校の明治学院大学図書館(※2)に「沖野文庫」として寄贈させた、
数百点におよぶ資料の中の1つなのですが、
筆で書かれた原稿が軸装されて展示されておりました。
いまは、沖野岩三郎の大逆事件告発小説「宿命」も
賀川豊彦の100万部ベストセラー小説「死線を越えて」も
古書店で探すこととなり、
2人の社会派牧師作家の作品を
読んだ人はあまりいないかもしれませんが、
「死線を越えて」は鳴門市賀川豊彦記念館版が出ており、
この記念館(※3)や東京の賀川豊彦記念・松沢資料館で求められます。
それぞれ、いま読むと新鮮な生々しい感動を覚えるはずです。
機会があれば読んでみてください。
いまのマスコミや歴史の教科書では教えてくれない、
近代史の一断面をよりリアルに覗き見ることが出来ます。
また、館内では
「詩文抄 賀川豊彦」という冊子をもらえますから、
大長編「死線を越えて」を読了するのは無理にしても、
賀川の有名な詩集「涙の二等分」くらいは味わってみましょう。
わずか2畳のあばら家に一族郎党が9人も
ひしめいて雑魚(ざこ)寝する貧民窟では、
一家の犠牲となって幼顔の少女たちが
娼婦や芸者に売られていくのです。
何としても悲惨な話は、
生まれたばかりの赤ん坊を処分する「貰い子殺し」で、
育てられるはずもないのに5円や10円で不義の子どもを貰い受け、
最後は「飢え死」にさせる“地獄の商売”の横行でした。
その死に絶えた「おいし」という赤ん坊を
抱きしめて涙する賀川豊彦の処女詩集が
大正8年(1919年)に発表された「涙の二等分」です。
おいしが泣いて目が醒めて
お襁褓(むつ)を更(か)えて乳溶いて
椅子にもたれて涙くる(略)
おい、おいし! おきんか?(略)
お石を抱いてキッスして、
顔と顔とを打合せ
私の眼から涙汲み
おいしの眼になすくって………
あれ、おいしも泣いてゐるよ
あれ神様 あれ、おいしも泣いてゐます!
※1 http://www.kobe-np.co.jp/info/bungakukan/index.html
※2 http://www.meijigakuin.ac.jp/tosho/
※3 http://www.tv-naruto.ne.jp/kagawa-kan/
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