ガンを切らずに10年延命-関根 進

再開!元週刊ポスト編集長の目からウロコの体験秘話!

第62回
人生、これからですよ

いくら長寿時代と言っても、
寝たきり長生きではなく、なんとしても
「元気で長生き」といきたいものです。

今発売中の僕たちの会員雑誌「いのちの手帖」第5号の
≪特集 作家に学ぶ! 長寿人生をどう生きるか?≫
の紹介――、
出版評論家・塩澤実信さんの
100歳まで原稿を書き続けた、作家・野上弥生子さんと、
その担当をし、岩波書店を経て筑摩書房の社長を勤めて、
これまた長寿を全うした布川角左衛門さんの
秘話エッセイの続きです。

             *

・「人生これからですよ」――
野上弥生子&布川角左衛門の“長寿の教え” 塩澤実信

(布川角左衛門)氏は私に会うたびに、
近況報告を聞いた後で
「君、これからだよ」の励ましの言葉を口にされました。
布川氏自身が、弥生子先生から言われた
励ましの言葉の援用でした。

氏は、法政大学に在学中に
当時同校の総長野上豊一郎教授の家に出入りしていて、
恩師の長男素一さん(後年、京大教授)の
家庭教師をつとめる間柄になりました。
 野上教授は、夏目漱石の門下生で、
その関係から寺田寅彦、岩波茂雄らとの親交が密でした。
息子の家庭教師が出版社志望と知って、
岩波書店へ推薦の労をとったのも、
岩波と一高、東大で同窓に加えて、
漱石門下に連なっていたことからでした。

一方、若くして野上家に嫁いだ弥生子先生は、
漱石門下の雰囲気のなかで、小説を書き始めました。
大正5年(1916年)49歳で死去される文豪は、
若くして才能ある門下生に発表の機会を与えることで、
知れていました。
それ故、野上豊一郎夫人の文才を認めると、
門下の鈴木三重吉、友人高浜虚子などに、
推薦の労を惜しみませんでした。
明治40年に弥生子先生の処女作『縁』及び『七夕さま』が
「ホトトギス」に掲載されたのも、
文豪の尽力があったからです。

以降、『海神丸』『眞知子』『迷路』等と
衰えを知らぬ筆力で作品を世に問いつづけ、
20年余をかけた『迷路』6部の大作を終えて、
88歳で書き始めたのが、遺作となる『森』でした。


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2009年1月17日(土)

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