国際結婚してフランスの田舎に住んで

パリだけがフランスではありません

第135回
そもそもゼロからの出発

ここセネやヴァンヌのあるモルビヨン県全体で、
家の値段はこの5年間でほぼ倍になってしまったと前回書きました。
でも、その5年前に私たちが買った値段を聞いた
お隣の御夫婦(もうここに30年ぐらい住んでいる方たち)は、
信じられないといった面持ちでしたから、
すでにこの辺りに目星をつける人が出始めていたのでしょう。
私たちはまったく知りませんでしたけど。

だいたいライアテア島でも日々の暮しがやっとの私たちだったのに、
どうして家が買えたのか…
第一に半分は私の実家の持ち分をあてられたこと。
第二に一応毎月少ないとはいえ東京事務所からの収入があり、
彼の両親の影響力もあって
リヨンの銀行から難なくあと半分の融資が受けられた。
ゆえに自力というより、親のおかげ、
他力で持てたようなものです。

だいたい片方はフランス人でも無職で、もう片方は外国人。
普通どんな銀行だってお金なんて貸さないでしょう。
恵まれていたと思います。
この始まりがなければ、
今のフランスでの生活はあり得ないのですから感謝しています。

ライアテア島から私たちが運んだ荷物は、
別々の友人に預けてフランスまで運んでもらった2個のトランクと、
自分たちで運んだ2個のトランクのみ。
車はリヨンで中古を手に入れ、
今もそれは老体に鞭打つようで気の毒ですが、
なんとか元気に走ってくれています。
後の物は東京の実家の取り壊し前に引き上げたものと、
こちらで少しずつ気に入った物を揃えました。

と同時にここで何ができるかを考えました。
2001年秋、彼は過去の経験を生かして
アンティークの照明器具専門店を立ち上げたというわけです。

普通は無謀ともいえる選択ですが、
だいたい「結婚」自体が
彼の両親に言わせれば「無謀」だったのですから当然の帰結です。
こういう生活形態ですから、
常に経済的にマイナスが立てこんでも
プラスになることはそうありません。
ただいつも区切りのところで
プラス、マイナス、ゼロになっているような気がします。

いつもどうやってもほとんどゼロからの出発ですが、
毎日ちゃんと食べられ、安心して寝られる家があり、
少々コレステロールが気になる体型になっているとはいえ
一応元気だし、今のところ息子は心身ともに健康に育っている。
これって、すごく幸せなことだなと思っています。

日本でこうしたぎりぎりの生活でも楽しめるかどうか
自信はありませんが、
少なくともここではお金に余裕がなくてもあまり気になりません。
他人の目を気にする必要がないからでしょうか。
それに子供の教育費は公立ならほとんどかからないし、
万が一の病気もかなり広範囲に健康保険がききます。

ただしフランス人の誰もがこんな風に考え、
感じているわけではありません。
これは超楽観主義の私たちの生き方と理解してください。


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2005年11月25日(金)

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