国際結婚してフランスの田舎に住んで

パリだけがフランスではありません

第130回
メディアは真実を伝えられる道具だろうか

結局こちらの6日夜、
暴力に対しては厳しく取り締まるという声明を、
それまでだんまりを決めこんでいた大統領が
国民の前に発表しました。
翌日夜はTF1のニュースにドビルパン首相が出演し、
政府の方針を説明しました。
それを聞いていた主人は
「なんの具体性もない。相変わらずの口だけだ」
と一言。

実際すぐに効果的な策があるとは思えません。
少なくともこれから思春期
(アドレッサンスadolescence。男の子は14から20歳、
女の子は12から18歳ぐらいと考えられてきたが、
近年11歳ぐらいから始まると認識されている)の
青少年に対するケアーが表立って議論され、
実質的な対策が取られることを祈るのみです。

と、こうなると
先の「暴力の嵐」とどう関係があるのか
少し不思議に思われるかもしれません。
嵐を引き起こしたのはこの年代の青少年が中心だったからです。
ただシテを取り巻く根本的な改善にはつながらない?

『そもそもパリ郊外のシテと呼ばれる場所は、
60年代に夢と希望にあふれた近代的な団地
(日本でも同様かと思います)として登場しました。
今もその頃からの住人、お年寄りが主ですがいます。

70年代、フランスは労働力不足から多くの移民を受け入れ、
彼らは安い家賃の公共団地に入居しました。
移民の中には
フランス語をまったく解さない人々も大勢いたそうです。

80年代、不況で多くの工場が閉鎖され、
失業が移民家庭を経済的な面から破壊していきました。
90年代はさらに荒廃が進み、
シテにある商店は
身の危険を感じて逃げ出す事態になっていました』。

以上は今年の2月初旬、France2のルポルタージュで知りました。
シテには80以上もの国の違う人々がいっしょくたに生活し、
95年以降2000年に至るまで
2世、3世による暴力はエスカレートするばかりだとありました。
今回の事件で、このルポルタージュを思い出したのです。

我が家から100km離れたレンヌやナントでも
車が焼かれたと報道されました。
でも、ここはいつもとまったく変わりません。
それに先週末、パリからやって来た兄も何も言いませんでした。
つまり彼が住むパリ中心部では
なんの影響もなかったということでしょう。

つまり私も一般に報道を通して知るだけで、
シテも知らなければ実感もありません。
メディアを通して知り、考えたに過ぎません。

特にテレビはある一部分を切り取って視聴者に提供します。
もちろんやらせでない限り実際に起こっていることですが、
映像がすべてかといえばどうもそうではないように思います。

今回の出来事で
「パリは燃えて(ますか?というメールを頂きました)なんて
いなかった」というのが真実。
この騒動は古くからの問題のうえ、
今後も解決することなく
フランス社会により深刻な事態を引き起こす火種に変わりない、
ということだけです。


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2005年11月14日(月)

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