パリだけがフランスではありません

第68回
「親」になるということ

20年以上前の話ですが、
死んだ母に言われたことがあります。
「あなたのようにきつい人に子供ができたらどうなるのかしら」。
前後の経緯は忘れましたが、
母は私の子は
かなりかわいそうな扱いを受けそうだと思ったようです。
そんな風でしたから、
自分が「親」になる時が来るとは想像もしていませんでした。

一方のオリヴィエは「親」になることをずっと拒んできた人です。
妊娠を知らされた時の彼の驚愕は、
私の予想をはるかに越えていました。
でも結局彼も「親」になることを承諾しました。

二人とも40歳まで好き勝手に暮らしてきました。
生き方は自分の都合で決め、
付き合いは大人だけですから道理も通る。
ところが赤ん坊の出現でそんな感覚は一変しました。

赤ん坊はこちらの時間も都合もお構いなし。
一方的に要求をつきつけてきました。
お腹がすいた。眠い。遊びたい。具合が悪い、などなど。
彼らは生きるのに必要なすべてを
ごく当たり前に身近に居る人(それが親であろうとなかろうと)に
ぶつけてきます。

私たちは初めて「親」とはどういうものなのかを知りました。
こちらの都合は置いておいて、
子供の一方的な欲求に無条件で答えなければならない。
当然のことなのですが最初は難しくもありました。
育児ノイローゼとか
精神的にまいってしまう人がいるのも理解できました。

乳幼児は安心して自分の欲求をぶつけ、
それに愛情を持って答えてくれる人がいればいい。
でも物心つく2歳半頃からは、
いつも身近な人(それが親だと思いますが)を
必要とするように感じました。
さらに今は子供が年を重ねるごとに
「親」の役は難しくなるな、
と感じています。

息子はもうすぐ10歳ですが、
主人とはしばしば彼の扱い方を話し合います。
二人とも多いに迷うからです。
ただ父親と母親と立場は違いますが、正反対の対応はしない。
子供の前で言い争いはしない。
今のところこれが親として最低限のルールになっています。


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2005年6月22日(水)

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