人を使うことのむずかしさは、無能な者を使うことからのみ起こるものではない。無能な者を使えば能率があがらないが、賢い者を使えばその賢さに乗じて、こちらをおびやかす。もし君主が賢人を好めば、群臣は気に入られようとして利口ぶるし、その結果、彼らの本心を見破ることがむずかしくなる。
「むかし、越王は武勇を好んだので、越の人民は生命を軽んじた。楚の霊王は柳腰の美人を好んだので、楚の女たちはみな痩せようと苦心して餓死する者が多かった。また齊の桓公は男色を憎んで、女色を好んだので、豎刁(じょうちょう)は自ら宮して奥御殿の取締りになった。同じく桓公は美食家だったので、易牙は自分の長男を殺してその肉を蒸してこれに献じた」(二柄)
かように、上に立つ者がその好悪感情を表面に出せば、下の者は上の者のきらうところを隠し、好むところに追従するようになる。そして、機会があれば、上の者にとって代わろうとする。そのやり方はちょうど、鋤をもって土を削りとるようなもので、少しずつ削るので、気がつかないうちに上下転倒してしまうのである。
だいたい、下の者が上の者のごきげんをとるのは、その人物を愛しているからではない。
もっぱら利益のためであるとみるべき性質のものである。もしつけ入るすきを与えれば、たちまち本性をあらわして、これにとって代わろうとするであろう。
「それゆえに、君主たる者は、その欲望を表面に出してはいけない。またその意志を表面に出してはいけない。好悪をいっさい隠してしまえば、家来はありのままの姿をあらわし、旧臣や賢知を去れば、家来は君主の心の中をはかりかねて自ら警戒するようになる。たとえ自分に知恵があってもそれを出すな。賢い行為があっても自ら誇るな。勇気があってもたかぶるな。そうすれば、知恵を働かす者、功をたてる者、武を尽くす者があらわれ、自ら行なわずして、しかもすべてのことが行なわれる。かくて君主はなにもしないでその地位を保つことができ、しかもなにも失うことがない」(主道)
この考え方は、どちらかといえば、孔孟と遠く、老荘思想と一脈相通ずるものをもっている。すなわち政治には杓子定規のほかに、これを巧みに運営するためのテクニックが必要である。その場合、友愛精神を説いて讃美歌を歌い国民から拍手喝采されるよりも、カメラマンに水をぶっかけて恐れられるほうがむしろ安全であると韓非は説く。なんとなれば、一般の人間は、マキァヴェリーも言うように、「恩知らずで、移り気で、虚偽で、臆病で、けちん坊である。君主が彼らにとって好都合なときは、彼らはまったく君主のものであり、その必要のまったくないときに、血も財産も生命も子供までも君主にささげようとする。しかるに、一朝事があってその必要が生じたときはきびすを転ずる。彼らの言を信じて注意を怠る君主(これを権力者といいかえれば、そのまま現代に通用する)は滅びる」からである。
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