法律家はみな立派な法律をつくろうと心がける。今日、法律によらないで政治を行なっている国はどこにもないといってよい。けれども、立派な成文法をもっている国が必ずしもりっぱな国であるとはかぎらない。なぜならば、法律にはもう一つ、運営という問題があるからである。
卑近な話が、かつての国民政府は世界でも最も優れた成文法をもっていた。ところが、外国人と比較的接触の多い大都市や港町以外には弁護士の数は少なく、争いか起こっても法廷へ持ち込まれる度合がいたって少ない。これは法律が必ずしも信用されておらず、むしろ法律の食いものにされることを民衆が恐れていたからとみるべきものである。事実、法律よりも「顔」のほうがはるかに大きな比重をもっていた。政府の実権は蒋介石とその一族の手中に握られ、孔祥熙(こうしょうき)の一枚の名刺は一冊の六法全書よりも威力があった。政府から黄金を買い上げる政策が発表される前に、財政部長は上海の金市場で大量に黄金を買い入れておくし、その反対の政策を行なう前には、先物を売っておく。そうでもしなければ、中国における政治家の資産が、世界的な財閥の水準に達するはずもないのである。
「国が滅びるのは、為政者や役人が先頭にたって、法律を破り、私利私益を追求するからである。あたかも薪を背負って火を救うようなもので、乱れるのは当然である」(有度)
そこで、法を正しく運営するためには、運営の当事者たる議員や官僚や裁判官をいかに巧みに使うかという問題が起こるが、これがなかなかむずかしい。
「もし下々に評判のよい者を陞進(しょうしん)させれば、役人は下の者のごきげんばかりとって上の者の言うことをきかない。もし勢力のある者を用いれば、みな勢力家と結んで法を無視する。
またもし無能力者を使えば、国は乱れる。世評にしたがって賞罰を行なえば、人情として、私党を組み、主を忘れ、外に結び、みなグルになって自分たちの利益をはかる。交友がひろく、与党が多く、内も外も結託すれば、互いに罪を隠しあってなかなかバレない。かくて忠臣は冤罪に死し、姦臣は功なくして安全かつ利益をむさぼる。忠臣がおとしいれられれば、良臣は引っ込んでしまうし、姦臣はいよいよ重く用いられる。国が滅びないほうがどうかしているであろう」(有度)
これでは法があっても無きに等しく、文武百官がそろっていても、国の形をなさないのと同じである。俗に「亡国の宮廷に人が無い」というのも、大臣たちが国のために尽くさず、もっぱら自分の家のためにはかり、家の子郎党がまたその勢力によって役所のイスにつくが、事実上は月給泥棒にすぎないからである。
「こういう現象が起こるのは、君主が法律によって裁断せず、下々をうかつに信用するためである。だから名君は法律によって人を任用し、自分の意志や他人の意志によって人を選ぶようなことはしない」(有度)
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