本田さんは、昔に比べれば多少、頭の髪毛は後退しただろうが、少しも年をとらず、剽軽さにおいても、元気さにおいても、二十年前と少しも変わっていない。ただ音はいつも作業服のままどこにでもでかけ、帝国ホテルで自分が主催したパーティにジャンパーのまま入ろうとして追い出されたエピソードの持主だが、私の家へ現われたときは、珍しいことにきちんと新調の背広を着込んでいた。売春対策審議会の会長ともなると、背広を着ないともてないのかもしれない。
「自分はオートバイ以外のことは何もわかりませんよ」「文部省では、オートバイの事故が多いのは、スピードの出るオートバイをつくったお前が悪いのだというが、オートバイの事故なんかたいしたことではありません。一番危険な乗物はオートバイでも飛行機でもなくて、本当は女ですよ」「私どもの鈴鹿のサーキットにきてごらんなさい。何十万人という若者が集まってきます。これは、私のカンですけれど、新しい書き物の材料があすこにはころがっているんじゃないでしょうか」
ちょうどカーター大統領がイランで人質になっていた大使館員を救助しようとして、ヘリコプター作戦に出て大失敗をした直後だったこともあって、本田さんは、
「レーダーにひっかからないようにヘリコプターを飛ばそうとすれば、地面スレスレで飛ぶよりほかないのですが、そのとき、エンジンが砂漠の砂をかんでエンストをしたのですよ。砂を吸わないための装置をすれば大丈夫なんだが、アメリカでその装置をとりつけると、どこに行くのか見当をつけられてしまうし、あとで事故が起こってから、責任のなすりあいになったらしいですがね」
さすがに技術者らしい談論風発であった。しかし、世界の本田さんも、奥さんの前には頭があがらず、何かいうとすぐ奥さんに揚足をとられていたから、オートバイを操縦するような具合にうまくはいかないな、とおかしかった。因みに本田家では奥さんの方が一足先に飛行機の操縦免許をおとりになったとか、まして夫婦間の操縦術になると、どうみても腕は奥さんの方が一枚上のようである。
私の家にはいろんなお客さまがみえるが、同席して最も笑いの多い人は、なんといっても本田さんであろう。「こんなに腹いっぱい食べて大丈夫かしらと心配したけれど、お腹の具合はスッキリしていますわ」と何度もお腹をさすりながら、本田さんは我が家の玄関を出た。

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