ところが、中華料理になると、アワビは干したものを戻したものでないと、最上品とは考えられない。生のアワビをレタスと炒めることもあるし、罐詰のメキシコ産のアワビを代用することもある。しかし、アワビの本当の味は干物のアワビにあり、大きなアワビを天日で干すと、トコブシほどに縮まってしまう。横浜中華街の中華材料店に行くと、この干鮑が二十個から三十個一キロくらいのもので、キロ当たり七万円で売っている。五つで一キロくらいの大きさになると、ダイヤモンドの値段と同じようにグンと高くなって、三倍くらいにはねあがる。だから一人一個ずつつくろうと思うと、アワビの代金だけでも、一皿で五万円以上になる。それも買いに行くたびに少しずつ値上りをしているので、「高い、高い」と文句をいったら、「でも、お客さん、このアワビは身体によいですよ」と中華街の商人にいわれたことがある。「身体にいいわけないじゃないか。値段きいただけでも、身体に悪いよ」といいかえしたら、向こうも一緒になって笑い出してしまった。
漢方では、「アワビは目によい」ということになっている。暗い海の岩の間を這いまわっているところから連想したものかもしれないが、アワビも貝柱も、目がかすみはじめる年齢にはよいとされている。私たちは見ただけでも目に毒と思っているが、おいしいからよく食べる。
どうして干した鮑魚が貴重品扱いされるかというと、貝柱やスルメと同じく、鮑魚は太陽の光を受けると、イノシン酸ソーダを生じて、ナマのときとは違って、一種えもいえない美味に変わるからである。
干鮑魚を戻すのはたいへん面倒な料理であるが、参考のために記すと、つぎのようなことになる。まず一人一個として人数分だけの干鮑魚を水に浸けて一晩おく。つぎの日、鮑魚をとり出して水洗いをしてよごれをおとし、浸けた水は捨ててしまう。鍋に水を入れて鮑魚を約三十分、中火で煮、蓋をしたまままた一晩おく。つぎの日、この鮑魚を深い皿の中に残ったおつゆごと入れかえ、その上に豚の肩脂を約一センチの厚さに切ったものをかぶせ、また生薑を薄切りにしたものを加えて、蒸籠で八時間蒸す。柔らかくなった鮑魚に斜めに賽の目に庖丁を入れ、一切れを横に二切れに切る。これに醤油もしくは蠔油(カキのソース)で味つけをするが、私の家では醤油を使うことが多く、醤油に少し片栗粉をまぜて、できあがりトロリとしたあんかけ風にしあげる。鮑魚の下地は、野菜を強火で炒めたものを使うが、一番よいのが豆苗(グリーン・ピースの若い葉っぱ)、つぎがホウレン草、でなければ小松菜であり、青いものの上にアワビをのせると見映えがする。
以上のように、つくるのに少なくとも三日間はかかり、そのうえ、一皿が十万円の料理だから、普通の中華料理屋に行ったのでは、めったにお目にかかれない。どうしても食べたいときは、予め注文をしておけば、おそらく東京の中華料理屋で二軒や三軒くらいはこの料理をつくってくれるところがあるだろう。

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