私は招ばれなかったし、その後のつきあいもすべて檀邸で一緒になるくらいでしかなかったが、新居祝いの席上で佐藤先生は、「妻は既往を問わず、夫は未来を保証せず」と訓辞を垂れた、とあとできいた。なるほどこれなら、罪深い亭主も家へ戻ることができる。五味さんは、原稿の筆が遅く、しかも当番の記者たちを屍とも思わないような態度を貫いたから、いつも連載物の原稿が期日に間に合わず、締切日すぎてから凸版印刷や大日本印刷の校正室で最後の原稿の追い込みをすることが多かった。その遅れのために、『文塾春秋』の発行日が二日も遅れたことがあるが、古き良き時代を思わせるエピソードである。いまなら、編集者もサラリーマン化しているから、おそらく五味さんのようなダラシのない文士に執筆を依頼したりはしないのではないだろうか。

有馬頼義氏は、その点、猫騒動で有名な久留米の殿様の後裔であり、戦争中の大政翼賛会のメンバーで、農林大臣をつとめたことのある有馬頼寧氏の三男である。私の母親は久留米市の人だから、昔なら、向こうが殿様で、こちらは平民、とてもお目どおりもかなわなかったのではないかと思うが、実際の有馬頼義氏は、そういう家に生まれたことに反抗し、普通なら、父親が久留米の藩主で、母親が北白川宮家のお姫様なら、貴族の家柄から娘を迎えるところであるが、抵抗の実証として、選りに選って芸者さんを女房とした。この一点だけみても、有馬さんは小説家になる資格をそなえている。むろん、芸者さんを妻にしたから、小説家として大成する保証は何もないが、小説家の条件は「反体制、反社会、反常識」だから、自分の生まれそのものに反逆することからスタートした人生は、それ自身が小説であろう。現に、有馬さんを有名にした「四万人の目撃者」は、作家の書いた推理小説であり、ほぼ同時期に「或る『小倉日記』伝」で芥川賞をとった松本清張氏と並んで、小説家の本格推理小説のハシリとなった。

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