八、五味康祐、そして有馬頼義 年齢的にはほぼ同じでも、五味康祐と有馬頼義は、いわゆる"第三の新人"とは少しばかり毛色が違う。「同時代に育てば、同時代人としての共感がある」というが、これだけ距たりがあると、個性や環境の差の方がずっと大きいような気もしないではない。 私の家に遊びに来た頃の五味さんは「喪神」で芥川賞をとり、つづけて「柳生連也斎」などで剣客物の流行作家にのしあがっていく前後であったが、いつも久留米絣に兵児帯、髪毛は伸び放題で、ヒゲも剃るのが面倒といった後々の風貌を既にそなえていた。なんでも、戦争中、兵隊にとられて、クリークの中で大地に耳をあてて徹夜しているうちに、耳が突然、きこえなくなってしまったそうで、よほど大きな声で話しかけないと、「へーえ?」と何度でもききかえす。「この人、本当に耳が悪いらしい」と安心して、小さな声で話をすると、悪口か、内緒話のときに限って、ちゃんときこえてしまうのである。本当に耳がきこえないなら、ステレオにこり、原稿料で稼いだ金を、家そのものより、ステレオ設備にゴッソリ注ぎ込むようなことはやらなかった筈である。 五味さんは大阪の映画館の息子で、子供のときは金に不自由しない育ち方をしたと自分で書いているが、作家として一人立ちする前は新潮社で、校正係をアルバイトにしていた一時期があった。小説を書きはじめたとき、真っ先にその才能を認めたのが檀一雄さんで、檀さんが推奨した途端に、芥川賞になったので、檀さんは友人たちにいつも自慢をして、「右に五味康祐、左に邱永漢、ここまではうまくいったが、第三の男を見つけなくっちゃ」と吹聴していたそうである。
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