七、"第三の新人"と友達に

私の家のオハコ料理の一つで、安岡章太郎氏ご推奨というのがある。我が家では「紅焼芋頭扣肉」と名づけて呼んでいるが、八ツ頭を七、八ミリくらいの厚さに切って、皮つきの豚肉とサンドウィッチにして、蒸したものである。作り方はさしてむずかしくはないが、できあがるまでに時間がかかりすぎるので、料理屋でお目にかかることはまずない。したがって、家へ来てはじめて食べたという人が多いが、安岡さんの筆にかかると、それは次のようなことになる。

―― さて、いよいよ食事がはじまると、眼のまえの皿はいかにも小さく、それにちょっぴりずつ盛られる料理は、腹ペコの胃袋にはまるで小鳥のスリ餌みたいにタヨリない。三品目か四品目までは、その状態がつづく。やがてスープが出る。これがなかなかウマイので、たいていの人が二杯か三杯お代りをする。ところで、ここまではその日の前菜で、本格的なご馳走はこのあとからはじまる。十品目あたりで、そろそろ腹はいっぱいになり、もうあと幾つ食えばおしまいになるかと、料理の名を書いてメニューの終りの方から数え出す。十二品目あたりで、もう何が出ても食えないという気になるが、ここらへんで邱家とっておきの街の料理屋では絶対に食えないもの、たとえば薄く切った大和芋にブタのアブラ身をはさんで、特殊の香料と何種類かのソースをとりかえながら何十時問も煮こんだというような手数のかかる料理か出る。ブタは完全に溶けて、クリーム・チーズ状になった芋に滲みこみ、口にふくむと軽い歯ごたえがあって、香りがいっぱいに広がり、舌全体を包むように柔らかく溶けて行くときのウマさは、何ともたとえようがない。このへんで、またスープ。これは口の中を淡白にさせて、次にカキ油のソースで煮こんだ牛のヒレか何かを食わせるコンタンである。それからあとは、もはや苛酷なる胃と腸と食道とのワンダーフォーゲルになる。エピを粉にして固めたソバやら、何とかの香料と何とかのアブラでいためた焼飯やら、骨まで柔らかく煮た魚やら、シナ風のお汁粉やらが、次々に押しよせ「胸突き八丁」という言葉の語源はこのような状態をいうのではないかと思われるほど、腹から胸から、体の中じゅうが食い物で充満し、ついに全身の皮膚がゴム風船と化してハリ裂けそうになる一歩手前にようやく全コースが終るのである。――

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