コーヒー産地のある保山市には"高黎貢山"という
2~3000m級の山脈が南北を貫いており、
その東側の麓には"怒江"という急流が流れています。
チベットを源流とする怒江は、
数百キロメートル続く大渓谷の間を猛り狂うように流れ、
邱公館の加工場前を越えて、ミャンマーのサルウィン河へと続きます。
釣りが大好きな僕は、
この大秘境でどんな獲物が釣れるか楽しみにしていたのですが、
流れが速すぎて釣りどころではありませんでした。
この怒江には、かつて四川や昆明・大理からミャンマー・インドへと続く交易の重要なルートであった「南方シルクロード」が東西を繋いでおり、その名残のひとつであるつり橋(恵人橋)の跡が邱公館加工場のすぐ近くに残っています。(※写真は別のつり橋です。)
≪参考≫ 看看雲南 http://www.kankanunnan.com/view.asp?id=490
今は老橋と呼ばれるそこの村が、
この産地で一番最初にコーヒーが植えられたエリアでした。
今では老橋のコーヒーはすべて他の作物に植え替えられており、
残念ながらもう残っていませんが、
当時コーヒーの加工に使用していた古い用具が今でも僅かに残っており、
村人は米やとうもろこし等に再利用しています。
数年前は産地でコーヒーの殻付き豆(パーチメント)を脱穀するためには、筒や臼に豆を入れて棒等で擦り取っていたようですが、中のグリーン豆も一緒に砕けてしまう非常に効率の悪いものでした。
こういう産地の人たちのコーヒー文化?もなかなか興味深いものがあるので、また別の機会にご紹介できればと思います。
現在はこの怒江に沿ってコーヒー産地が広がっており、
漢族を始め、タイ族、リス族、ダーアン族、回族等、
いろんな民族がコーヒー作りに携わっていますが、
現在ここで生活している日本人は僕ひとりだけです。
しかし、約60年前には多くの日本人がこの地を踏んでいます。
日中戦争末期に、中国軍の重要な物資輸送ルート「滇緬公路」
(かつての南方シルクロード)を遮断するために、
日本軍がミャンマー側から侵攻をはじめ、
中国の遠征軍と衝突したが保山のこの一帯でした。
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