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24.忘れえぬ傷

大自然に囲まれたのどかなコーヒー産地ですが、
1942年から日本軍が侵攻を始め、激しい戦場となりました。

邱公館加工場の裏山や邱公館のコーヒー農場も
怒江の対岸からやってくる中国の遠征軍を迎え撃つため、
日本軍が陣営を張っていたところのようです。

近くの村には、小さな抗日戦争記念館も建てられており、現地の人たちにとって忘れがたい傷として残っているのかと想像してしまいます。
実際、地元の人や政府関係者と食事をする際は、必ずといってよい程、この戦争の話がでてきました。
とはいっても、「こんなことがあったのを知ってるかい?」程度のやりとりで、特に悪意もなく話のネタとしてふってくるケースが大半です。
僕も「もちろん知っています。悲しい歴史ですね。」
くらいの対応に終始しているので、話が過激になることはありません。

産地の人たちも日本人の僕に対してこの戦争のことで、
恨みや悪意を持つ人はほとんどおらず、
実際は国民党軍の方がひどかった、とか、もう昔の話だ、
などと気を遣ってくれる人もいます。

しかし中には過激な人もいて、
乗客が沢山いるバスの中で、見せしめのように何度も罵られたり、
加工場のスタッフに「日本人の下で働きやがって」と嫌がらせをしたり等、
嫌な思いも少なからず経験してきました。
そういう過激な人は、実際に戦争を経験してきた年配の方ではなく、
ちょっと小利口そうな若い人がほとんどです。
僕は当時の状況や実際に侵略された人たちの気持ちを知る由もないので、
どんな事を言われてもぐっと歯を食いしばってきました。

日本人の僕が今現在彼らの地でできることは、
一緒にがんばって一緒に発展していこう、という未来志向を持つことであり、
そうすることで過去の悲惨な歴史を乗り越えて共栄していけると信じ、
今までこの事はあまり考えずにきました。

しかし先日、どうしてもこの戦争の事を考えざるを得ない出来事がありました。

加工場から100kmくらいのところにある騰衝という町で、
この戦争の映画撮影があり、縁あって僕も少しだけ参加したのです。


2007年8月24日 <<前へ  次へ>>