Qさんは、かつて「知恵は借り物でも知恵である」と書きました
そういうことをおっしゃる人の知恵ならいくら借りてもモンクは出ませんね

第918回
邱さんの運命を変えた尖沙嘴東のマンションも見ました

若き日の邱さんの足跡を訪ねる道中で
私が15年前、
邱さんの見通しに賭けるつもりで買った
一坪ショップに出会いました

そこで、一くさり、
そのときの体験を話させていただきましたが
そのあと、私たちは少し歩いて
九龍の尖端、尖沙嘴東(チムシャツイトン)に
やってきました。

そのとき目にしたのは
ところ狭しと並ぶマンション群です。
その光景を見て私の頭に浮かんできたのは
邱さんが『バブルの後の物語』の中で書かれた
次の文章です。

「ちょうどその(昭和63年)頃から私も家内も
2ヶ月に一ぺんくらい香港に行くようになっていた。
大抵は遊びが目的だったが
家内はもともと香港の人だから、
私がホテルの代金を払うのを見ると、
『ね、こんなにしょっちゅう
 香港にくるようになったんですから、
 いっそ香港にマンションの一室を買うことにしましょう。
 ホテルに住むよりその方が落ち着きますから』
その意見を容れて九龍の尖沙嘴東(チムシャツイトン)に
30坪ほどの小さなマンションを買った。
3LDKで、当時の香港ドルで200万ドルだった。
当時は1香港ドル20円だったから、
約4千万円かかった。
それ以来、香港に行く度に
マンションに寝泊りするようになったが、
もし、このときマンションを買っていなかったなら、
おそらく私は香港の不動産投資にも、
従って大陸の経済投資にも
関心を持たなかったに違いない。
ほんのちょっとした違いがきっかけになって、
人の運命を大きく変えるのを、
私は身をもって体験することになったのである。」
(『バブルの後の物語』平成5年)

つまり、邱さんはここでマンションを買うことで、
香港の不動産事情に興味をもち、
そこから「中国大陸の香港化」を予感して
平成4年、香港に本拠を移し、
今のように、拠点を
上海、北京、成都、昆明に拡げ、
中国大陸で多彩な事業を展開することに
つながっていくのです。

私は尖沙嘴東のバス停の前で
その辺のくだりをお話し、
そのあとバスに乗って、
邱さんが平成4年から住居とされた
コンベンション・プラザ方面に向かいました。


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