第916回
15年前に投資した「一坪ショップ」に出くわしました
若き日の邱さんの香港での活動の足跡を
探訪するツアーで邱さんの活動拠点であった
「漆咸圍」(チャタム・コート)を
訪ねたときの話の続きです。
さて、これまで、
この周辺で起こったことを
あれこれ書いていますが、
私たちが目にしたのは
「漆咸圍」と書かれた住所表示と建物と道路だけです。
ただ、このあたりで邱さんのところで起きた
あるいは邱さんが起こした話が
『奥様はお料理がお好き』(昭和39年)や
『私の金儲け自伝』(昭和46年)や
『失敗の中にノウハウあり』(昭和61年)や
『わが青春の台湾 わが青春の香港』(平成6年)
といった著作のなかに書かれていますので
私たちはそれらを手がかりにして
邱さんの様々な体験に思いをいたすことができます。
そうしたことで、私たちは、
昔、邱さんの手元で起こった話に花を咲かせながら、
周囲の景観を楽しみました。
そのあと私たちは
「漆咸圍(チャタム・コート)」から、
海が見える「尖沙咀(チムサアチョイ)」の方面に向かって
坂を降りていきましたが、
坂をおりきったところあたりで、
道案内をしてくれていた香港在住の友人が、
声を出して、皆の注意をひきつけました。
「ハイ、ここが戸田さんが
かつて投資なさった場所ですよ」と。
とっさのことで私もビックリし、
「エエッ」と驚きました。
そして目の前を見ると、
“百利商業中心”
(ビバリー・コマーシャルセンター)と書かれた看板が
目の中に飛び込みました。
懐かしい看板です。
そこは紛れも無く私が平成3年の8月、
このビルのなかにギッシリと並ぶ
一坪ショップの一室を見学し、
そのあとすぐに購入したところです。
今回、香港でセミナーをひらくに際し、
私は香港のガイドブックを買い、
邱さんの活動拠点であった
「諾士佛台(ナッツフォード)」や
「漆咸圍(チャタム・コート)」を探すとき、
それらの近くに
「百利商業中心」の名前があることに気づき、
道案内してくださる友人に、
私がこのビルの中の一坪ショップを購入したことを
伝えていました。
そうした経緯から友人は
探訪ツアーのなかに、
この場所への立ち寄りを
織り込んでくれたのでしょう。
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