| 第913回邱さんは「『思ったが吉日』の信奉者」です
  若き日の邱さんの香港での活動の足跡を探訪するツアーのなかで訪れた「漆咸圍」
 (ツァツハムウイ・英語でチャタム・コート)は
 邱さんが奥さんをお迎えになったところです。
 さて、邱さんが選んだ花嫁は自分が居候をしていた家の隣に住んでおられた、
 香港では有名な薬屋さん、
 藩家の三女の苑蘭さんです。
 お見合いをしてから、2、3日後、邱さんは苑蘭さんご一家のピクニックに誘われ、
 ポータブルの蓄音機を鳴らしながら
 ダンスをする光景に見とれたそうです。
 そして、お見合いをしてから3週間あまりのエープリル・フールの日に
 邱さんは苑蘭さんと婚約し、
 5月10日に香港島の駐冊署
 (戸籍を扱う役所)で結婚式をあげ、
 九龍側の広州大酒家の3階を借り切って
 披露宴を開かれました。
 「私は『思ったが吉日』の信奉者」(「わが青春の台湾 わが青春の香港」)
 とおっしゃる邱さんならではの
 スピード結婚です。
 ところが披露宴のあと、風俗習慣の違いから
 邱さんは新婦側の親族と喧嘩をして、
 新婦を連れ去られてしまいます。
 幸いにして翌日の5月11日、
 女中さんのとりなしで、
 邱さんは新婦を連れ戻し、
 新婚生活を始められました。
 このときの話は
 『奥様はお料理がお好き』(昭和39年)に
 詳しく書かれています。
 私たちのツアーの道案内をしてくださった方はこのときのことが書かれた邱さんの文章を
 よく読んでいて、
 邱さんが結婚式の翌日、
 新婦を取り戻す光景を思い浮かべながら、
 「新婦をお迎えになったのは
 この辺だったのではないでしょうか」
 と指で指し示してくれました。
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