第911回
26歳の邱さんは俄かに金持ちになりました
若き日の邱さんの香港での活動の足跡を
探訪するツアーの続きです。
高級マンションに移ったころの状況を
邱さんは次のように語っています。
「私がマンションが欲しいというと、
阿二(アーニー・女中さん)が
すぐブローカーにわたりをつけ、
間もなく諾士佛台の廖家(居候先)から徒歩で
5、6分のところにある
漆咸圍(ツァツハムウイ・英語でチャタム・コート)
というところに新築された
マンションの一階が見つかった。
家賃は香港ドルの500ドルで、
敷金は家賃の20倍の1万ドルだった。
香港へ流れてきて約2年、
はじめはどうなることかとおそれおののいたが、
どうやら高級住宅街に
マンションを構える身分になった。
それは『命からがら逃げのびた』亡命者にとっては
思いもよらないことだったが、
無一文に近い状態からスタートして
どうしてこういうことになったかは、
まったく予想の外と言ってよかった」
(『わが青春の台湾 わが青春の香港』)
ふとした着想を活かすことによって
邱さんはお金にありつくことができ、
自動車も買ったし、運転手も雇うようになりました。
でも、邱さんの心情は単純ではなかったようです。
「私はまだ26歳だった。
26歳で高級マンションに住み、
運転手づきの自家用車を持つことは、
香港のような生き馬の目を抜く港町でも
そうあることではなかった。
内心いささか得意にならなかったと言ったら、嘘であろう。
でも、手放しで得意になったわけではなかった。
私は政治的亡命者だったし、
パスポートを持っていなかった。
だから、この町から外へ出て行くこともできなかった。
青春の賭けに破れた亡命者が、
金があるというだけでは
そんなに自慢にならないという
うしろめたさもあった」
(同上)
こんな邱さんの体験や感想に思いをいたしながら、
なだらかな傾斜地になっている
この辺の景観をゆっくり見回しました。
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