Qさんは、かつて「知恵は借り物でも知恵である」と書きました
そういうことをおっしゃる人の知恵ならいくら借りてもモンクは出ませんね

第910回
邱さんが住むようになったマンションは居候先の近くです

若き日の邱さんの香港での活動の足跡を
探訪するツアーの続きです
私たちは、邱さんが居候していた
「諾士佛台(英語でナッツフォード)」から歩を進めて、
「漆咸圍(ツァツハムウイ・英語でチャタム・コート)」
というところに出ました。

これまた、どこかで聞いたような名前だなと
思っていましたら、香港在住の友人から、
「ここが邱先生が突然、金持ちになって
 マンション住まいをされたところですよ」
と言われて、またまたハッとしました。

「お金を使い果たして、飢え死にするかもしれない」
という恐怖に襲われていた邱さんが、
どうして金持ちになったかは
『私の金儲け自伝』
『失敗の中にノウハウあり』などにも
書かれていますが、
一人の在日の台湾人が
密輸船に乗って香港に着き、
邱さんの居候先を訪れ、
その人を邱さんが道案内をしたことが発端です。

昭和24、5年当時、
日本は物資が欠乏していました。
一方、香港にはモノが豊富にあり、
香港にやってきた在日台湾人は
香港から日本に物資を密輸することで
金儲けを試みます。
と同時にこの在日の台湾人は
小物については京都の自分の家に
郵便小包で送ってくれと邱さんに頼みます。

こうした在日台湾人の行動を見て、
邱さんの頭のなかに、
危ない橋を渡らなくても
郵便小包という合法的な手段で
日本に貴重品を送ることで金儲けができる
というアイデアがひらめくのです。

そこで、日本にいる親戚や友人に、
薬や日常品を郵便小包で送ることをはじめました。
そのことにより、香港に住むようになって
2年目くらいたった25、6歳頃に、
邱さんはお金儲けができるようになるのです。

そして、居候先を出て、邱さんが、
高級マンションに居を構えるようになった場所が
「漆咸圍(英語でチャタム・コート)」です。
ぜひ訪れたいと思っていた場所なので
住所表示のあるところで、
写真を撮ってもらいました。
ゲンのいい場所なので、「僕も」と、
私の横に並んで撮影してもらった方も
いらっしゃいました。


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