Qさんは、かつて「知恵は借り物でも知恵である」と書きました
そういうことをおっしゃる人の知恵ならいくら借りてもモンクは出ませんね

第886回
感想や質問があると、意思疎通が活発になります

このところ、
私がはじめた株式投資の原則、
通信講座を最初に受けてくださった方の感想を
10回続けて、紹介させていただきました

株の通信勉強とは、
どんなことをやっているのか、
受講された方がどんな印象を受けておられるのか
といったことを皆さんにお伝えするのに
好都合だと考えてのことです。

ご本人は
「邱先生のHPや著書、
 あまたの活字を読めば読むほど、
 次々感想や新たな疑問がわき、
 それを表現し、聞いてもらいたい思いが強まります」
とおっしゃいます。
そして、邱さんが書かれた記事について
次のような感想を伝えてくれました。

「先日、邱先生は上海の不動産のことに言及されました。
 金融引き締めにもかかわらず、
 昨年1年で不動産価格が
 倍になったとの記事を読みハッと気づきました。
 私の両親は、昭和40年頃、東京の郊外に
 住宅供給公社を通じて町田市に土地を購入しました。
 その際、応募倍率が3倍だったそうです。
 昭和40年頃は、資料によれば、
 日本は相当な不景気だったらしいのですが、
 それにもかかわらず、住宅を求める人々の列は
 長くなりかけていたのですね。
 奇しくも、現在、中国の発展程度は
 昭和40年頃の日本に似ているそうですが、
 それも示唆的です。

 更に、昭和47年頃、もう一箇所、
 神奈川県茅ヶ崎市に
 不動産を求めて購入したのですが、
 そのときは、申込み順番取りのために、
 学生アルバイトを雇って交代で
 何日間か車の中で寝泊りしたそうです。
 この頃には、誰の目にも明らかな、
 大変なマイホームブームになっていたのですね。」

たまたま、昭和40年は、私が、
八幡製鐵(いまの新日鐵)に入社した年です。
そこで私は
「自分がもらった初任給が2万4千円で、
 友人で日銀に入った人の給料は2万円。
 たしかに、昭和40年は不景気風が吹いていました。
 高度成長を続けていたときも、
 不景気なときはありました。」
と返事をしました。
といった具合で、
感想や質問を受けると、刺激を受けて、
その分、意思疎通が活発になります。


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