第811回
時代の流れは学校の校名も変えてしまいます
私は福岡市のセミナーには
当地で活躍し、料理の世界では
名の通る存在になっておられる
緒方弘さんに参加していただきました。
緒方さんはセミナーの後、
この本にもとりあげていただきましたと
向笠千恵子さんという方の執筆になる
『日本人が食べたいほんもの』(新潮文庫)
という本をくださいました。
その本には緒方さんご自身のことが
次のように書かれています。
「製鐵の街、八幡生まれである。
料亭の長男で中央大学時代はヒッチハイクで地球を踏破。
卒業後は外食産業草創期の東京で全力投球し、
27歳で帰郷した。
料理人としては遅い出発ながら、
『やる気と努力』で
実家をうなぎ専門店へと舵取りし、小倉へも進出した。
また地元の真颯館(しんそうかん)高校
調理科教諭を務めたり、
陶芸家と交流するなど器好きの顔を持つ。
店で使用する器はすべて自ら見立ててきた作家のものである。
さらに情緒不安定な子供たちを
親から頼まれて店の調理場に預かったこともある。
それだからか、いつも泰然自若。
生まれつき器が大きいのだろう」
この紹介のなかで私がわからないのは
緒方さんが調理科教諭をとつめているという
「真颯館高校」です。
北九州市のことならだいたいわかっていると
自負している私がはじめて耳にする名前です。
そこで家に帰ってインターネットで調べたのですが
かつて「九州工業高校」と名乗っていた学校であると知って
なるほどと事情がのみこめました。
「九州工業高校」といえば、かつては、
八幡製鐵所が大量に採用していた学校です。
ところが製鐵所からの採用がメッキリ減り、
このままでは学校として
存立できないという危機に立たされ、
その対策の一つとして調理科が設けられ、
そうした改善を積み重ねるなか
校名自体も変えることになったということでしょう。
かつて製鐵所の工場があった場所が
テーマパークに変わり、
また製鐵所の司令塔であった事務所が
ホテルに変わり、
「時代が変われば、土地の主役が変わる」
と私は自著に書きましたが、
時代の変化は、周辺の学校の学科内容や
校名まで変えると知って勉強になりました。
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