Qさんは、かつて「知恵は借り物でも知恵である」と書きました
そういうことをおっしゃる人の知恵ならいくら借りてもモンクは出ませんね

第641回
「永遠の青年といった感じの人がいる」

昭和40年代のはじめ、
植草甚一さんといって
若者の教祖的存在として
活動していた人がいますが、
邱さんはこの人をとりあげ、
次のように書いています。

「永遠の青年といった感じの人がいる。
青年とは、先入観や定見を持たないで、
これから人生体験を積む人のことだから、
見るもの、きくもの、すべてに興味を示す半面、
過去の道徳や因習にとらわれることがない。

したがってその意見や生活態度は、
老人の目から見たら、
無軌道、反社会的、不道徳、
と見えがちなのがむしろ普通であろう。

逆にいえば、
若者のやること、なすことに
反発を感じるようになれば、
『わしも年をとったなあ』ということになる。

ところがこの世には、
風貌はいくら年をとっても
若々しさがただよっている人がある。
たとえば、ジャズ評論家の植草甚一さんという人は
はじめてお目にかかった時、
この人は年は多分60を越えていただろうに、
洋書の中に埋まって、
アメリカの雑誌なんか面白がって読んでいる。(中略)

若い人でなければ
興味を示さないような新しい、
ある意味で不道徳な現象を
たいへん面白がって解説しているので、
どんな人かと思ったら、
新宿あたりの裏通りの二階や地下にある
ジャズ喫茶に入りびたって、
何時間でもあの騒音のような音楽に
聴きいっていたりしているそうである。」
(「年をとらない法」昭和42年)

そしてご自身「ゴーゴー喫茶」などもおとずれ
「そういうことを
全然知ろうともしないオトナたちに比べると、
私は若者の生態を知りたいと考えるだけ、
まだ若さと好奇心を失っていないのかも知れないが、
さすがに違和感は免れがたい。
それに比べると、
植草さんのような人は、
年をとることを忘れた人といってよいだろう。」
(同上)と植草さんの行動を評価しています。

なお植草甚一さんについては
「早稲田と文学ー植草甚一」
で本人の写真とプロフィールが掲載されています。


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