第634回
「どの町に行ってもやれるかと自分に問いかけてみる」
邱さんの文章を読んでいると、
どこか新しい町をたずねたとき、
仮にこの町でほっぽり出されたとしたら、
そのあとやっていけるだろうかと
自問自答なさるとお書きになっています。
たとえば『まだやってんの』の中で
次のようにお書きになっています。
「たとえば、私はいまでもシドニーとか、
バンクーバーとか、あるいはニュー・デリーとか
はじめての町に行くと、
ほとんど無一文の状態で
家内と二人だけおっぽり出された場合、
どうやって暮していくか、
町のなかで歩きながら考える。
どこの町でも暮していけるだけの自信を
もっているわけではないが、
それでもこの町なら
なんとかして暮していける
という町はあるものである。
年をとってから
もう一度やりなおすのは大へんであるが、
それでもやれるとおもえば、
そんなに怖れない。
道はそこから新しく開けると
わたしは確信しているからである。」
(『まだやってんの』)
私たちは、どこかの組織にやとってもらって
お金をもらいながら、
仕事を覚えていくという形をとっていますから、
「はたしてこの町でやっていけるか」
なんて考えもしないことですね。
でも邱さんは、
そういう質問を自分に投げかけられるんですね。
邱さんは20代はじめのころに、
命からがら香港に亡命し、
言葉も通じないし、お金もないし、
学歴もまったく通じないという環境のなかから
身を起こすという体験をしてこられていますね。
そういう体験をなさったからでしょうか、
この町でやっていけるかなんて自問に、
また推定がおつきになるんですね。
素晴らしいことですね。
だってこういう能力が身につけば、
お金がなくてもなんとかこの世を
生き抜いていけるでしょうから。
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