第593回
邱さんは中国に踏み込むときもパイオニア精神を発揮
いま邱さんが上海で取り組もうとする
新しい仕事の話が次々に紹介されていますが、
時代の先に立って、新しいことを始めるという
邱さんのスタイルは一貫してますね。
もともと中国大陸の上海や北京に踏み込んで
仕事を始めるときもそうでした。
当時のことを示す記述が
『バブルの後の物語』にあります。
「手始めは香港をどう見るかということであった。
『1997年を目睫にして、
香港が大陸に接収されてその中に、
埋没してしまうわけではない。
1997年に向って、大陸が香港化していくのだ』
というのがその時の私の判断であった。
そうした判断に基いて、
私は香港の投資に着手したが、
約3年間で香港の不動産価格が倍になり、
所期の成績をあげることができた。
しかし、これは
中国大陸における大きな変化の一環にすぎず、
本命はあくまでも大陸であることを忘れてはならない。
そこで平成3年の8月に
台湾の実業家たち40人を連れて、
上海、北京を経済視察に出かけた。
この時、いよいよ中国経済は高度成長に向かって
テイクオフすると直感した。
そこで上海の浦東地区で事務所ビルを
また北京の中心部に高層住宅を建てる交渉に入りました。」
(『バブルの後の物語』)
ところで、興味深いのは、
このときのことを『中国人と日本人』で
邱さんが次のように書いていることです。
「私が上海で高層ビルを建てる契約をした時、
下交渉を進めながら様子を見ていた人が多かったが、
私がサインをしたのをきっかけに、
たちどころに80件も契約が成立した。
つまり、これから3年以内に上海の浦東だけで
少なくとも80棟も高層ビルが出現することになる。
他の大都市でも負けじと
海外華僑への働きかけが行なわれているから、
この動きは沿岸地域から揚子江沿岸地にかけて
いっせいに開花する。」
(『中国人と日本人』)
いまや上海浦東地区の光景は
中国を訪れた人のお土産話になっていますが、
邱さんが中国で事業をはじめるときの決断と行動は
「はじめから道があるわけではありません。
道は人がつくりだすものです」
という孔子の教えをきわめてわかりやすいかたちで
示してくれる話だと思います。
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