第594回
邱さんは陽のあたる方向を指してくれる人です
邱さんが39歳ころの話ですが、
当時、文藝春秋社の幹部だった池島信平さんから
「論語のなかにでてくる言葉で好きなのは何ですか」
ときかれ、
「『人よく道を弘む、道、人を弘むにあらず』です」
と答えました。
このことに興味をひかれ、
ここしばらく、
この孔子の言葉を地で行くような
邱さんご自身の体験話を選んで紹介してきました。
邱さんの体験話がそのまま
この孔子の言葉の解説になるということは、
邱さんが折々の時点、折々の場所で、
新しい道をたくさんつくってくれている
ということです。
そして邱さんの作品の一人の読者として感じることは、
邱さんがつくってくれた道のあとを通っていくと、
明るい陽がさすところに出会えることが多い
ということです。
邱さんご自身は
あまりそういったことは口にされませんが、
平成3年から平成4年にかけて執筆した
『人財論』の中に、
ご自分のそうした側面に触れた文章がありますので、
抜粋させていただきましょう。
「人がいて産業が興る。
まさか一人や二人だけで
国全体が変わるとはおもわないが、
現代グループの根拠地である蔚山(ウルサン)に行ってみると
鄭周永という人がいままで何もないところに
一代で一大工業地帯を築き上げている。
そういう人が現われて、
お互いに激しい競争を繰りかえしながら、
産業界を盛り上げて行く。
20年前、私が故郷の土を踏んだ時の台湾では、
講演会など全くやっていなかった。
町の本屋さんにも経営の本など一冊も売っていなかった。
高雄と台中で加工区ができ、
外国資本が入ってきて工業生産がはじまると、
見る見るそれが全島に拡がった。
それと並行して、
台北の本屋に経済や経営の本が溢れるようになった。
もっともこれは私が火付け役だが、
最初の頃は、日本語の本だけだったのが、
今では日本ではもとより、
アメリカやヨーロッパの経営学の翻訳本も
山と積まれるようになっているし、
中国語の本がわんさと出版されるようになった。
講演会も盛んになったし、
ゼミ屋も商売として成り立つようになった。
『地獄の訓練』と同じ人材養成講座にも
結構、申し込みがあるそうである。
自分でいうのもおかしいが、
私の足の動いて行く方向を見たら、
どこに陽が当たりはじめたか、
大体見当がついてしまうのである」
(『人財論』第六章「研究熱心な順序に産業が発展する」平成4年)
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