Qさんは、かつて「知恵は借り物でも知恵である」と書きました
そういうことをおっしゃる人の知恵ならいくら借りてもモンクは出ませんね

第589回
邱さんは台湾の経済発展のため奮闘しました

最近、邱さんが上海や北京で
文化的な事業を起こそうとされていますね。
こうした動きに接しますと
かつて邱さんが故郷の台湾に帰り、
経済と文化の両面の分野で
孤軍奮闘の働きをされたころのことが
頭に浮かんできます。

昭和47年のこと、邱さんは長い間、
対立していた台湾の政府から
帰ってきてくれと頼まれ、
24年ぶりに故郷の土を踏みました。
邱さんはそれからの活動の一端を
『台湾へ帰るの記−「私の金儲け自伝」後編』
『私の金儲け自伝』昭和57年)に書いています。
この作品から、当時の邱さんの気概が伝わってくる文章を
抜粋させていただきましょう。

「台湾には新しい世代が成長しつつあるのである。
これらの人々に必要なことは、
いかにして台湾の経済を
発展に導いていくかということである。
個人的に言えば、
それは一人一人が上手に金儲けをして、
金持ちになっていくことであるが、
日本に似て、何ら見るべき資格もなく、
人的資源以外に何もない台湾で
経済を発展させようとすれば、
これまた、日本と同じように工業化を推進し、
新しい富を創造していくよりほかない。(中略)
私は台湾をよくするためには、
実業家も公務員も技術者も、
まず若い世代の者を教育することから
スタートするよりほかないと考えた。

ただ教育するといっても、
学校で教えることだけが教育ではない。
商売をやる人の商売に対する考え方、
工場を経営する人の技術や品質に対する考え方、
工場で働く人の企業や勤務に対する考え方、
そういったものはどこの国へ行っても同じだと思ったら
大間違いである。(中略)

こうした面の教育をしようとすれば、
実際に企業を経営して、
能率的・合理的な経済を
実地にやってみせる必要がある。
新聞その他のゼミナールをひらいて、
企業家たちの啓蒙運動をする必要がある。
また学校を経営して
次の世代の教育から始める必要もある。

かつて明治時代には、前者は渋沢栄一、
後者は福沢諭吉がその役割を果たしてきた。
私はそのどちらにも遠く及ばないが、
少なくとも努力目標としては、
両者を兼ねた形の仕事の進め方を
しなければならないだろう。」
(『私の金儲け自伝』昭和57年)

こうして邱さんの台湾における
獅子奮迅の活動がはじまりました。
幾年月がたち、
台湾は経済大国へと大きく発展しましたが、
それにはこうした邱さんの意欲的な活動が
大きくかかわっているわけですね。
そしていま邱さんの情熱は
中国大陸の経済や文化の向上に
向けられているということでしょうね。


←前回記事へ 2004年4月7日(水) 次回記事へ→
過去記事へ 中国株 起業 投資情報コラム「ハイハイQさんQさんデス」
ホーム
最新記事へ