Qさんは、かつて「知恵は借り物でも知恵である」と書きました
そういうことをおっしゃる人の知恵ならいくら借りてもモンクは出ませんね

第585回
対日小包郵送で邱青年が大金持ちに変貌

邱さんは24歳のときに
「背水の陣」をしいた生き方を選びました。
以来、つねに自分の頭で考え、行動する
という独歩の道を歩き続けてきています。

その過程で、邱さんは草ぼうぼうの場所から
新しい道を切り開くと同時に、
道ができると
その後に多くの人が通り出すということを
数多く体験してきたように思います。

そうした体験の始まりとして、
最初に頭に浮かんでくるのが、
言葉が通じず、学歴も用をなさず、お金も持たずなど、
ないないづくしの中ではじまった
香港における亡命生活のなかで、
突然、金持ちになったことです。

どうして金持ちになったか、
詳しくは『わが青春の台湾わが青春の香港』
『私の金儲け自伝』『失敗の中にノウハウあり』など
一連の伝記作品に書かれていることですが
ことの始まりは、一人の在日の台湾人が
密輸船に乗って香港に着いて、
邱さんの居候先を訪れ、
邱さんがその人の道案内をしたことです。

当時、日本には物資が欠乏しており、
それに対して香港にはモノが豊富にあり、
邱さんが案内した在日台湾人は
香港から日本に物資を密輸することで金儲けを試みます。
と同時にこの在日の台湾人は
小物については京都の自分の家に
郵便小包で送ってくれと邱さんに頼みます。

こうした在日台湾人の行動を見て、
邱さんはなにも危ない橋を渡らなくても
郵便小包という合法的な手段で
日本に物資を送ることで
金儲けができることに気づきます。

そこで、香港から
日本にいる親戚や知人や友人に、
薬や日常品を郵便小包で送ることをはじめました。
そのことにより、香港に住むようになって
2年目くらいたった頃に、邱さんは
お金儲けができるようになったそうです。

なんでも、この郵便小包商売で邱さんは
月100万円の利益があがるようになったそうです。、
一口に100万円といっても当時、
赤坂や新宿の土地が1坪1000円だったそうですから、
東京の土地を1000坪ほど買えるお金を
毎月稼いだことになります。

おかげで、周囲の人の扱いも丁重になり
独り身であった邱さんは伴侶をえますが、
その頃になると、
邱さんが切り開いた道を通って
ぞろぞろ歩いてくる人が現われ、
一時は儲かった小包商売も
だんだん儲からなくなったとのことです。


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