第581回
『人よく道を弘む、道、人を弘むにあらず』
今日は邱さんが台湾の台南市に生まれてから数えて
80歳の誕生日です。
このおめでたい日にちなみ、
最近、私が見つけた若かりし頃の邱さんの発言を
紹介させていただきます。
邱さんが日本のジャーナリズムに登場した頃に
邱さんをなにかと引き立てた一人に、
文藝春秋社の大編集長だった池島信平さんがおられます。
この池島さんが編集された本に
『歴史よもやま話』という座談集があります。
日本編(上・下)、西洋編、東洋編からなり
これらは私なども読み、
たいそう面白かったので書棚に保管していました。
先日のこと、そのうちの東洋編を引き出して
パラパラとページを繰っていると、
「孔子と孟子」というところで、
邱さんが4人の識者の一人として
発言している場面に出会い、
そのなかで司会進行役をつとめる池島さんの質問に答え、
邱さんが論語の中で
好きなコトバについて発言している箇所を見つけました。
以下、その部分の抜粋です。
池島:「皆さん方も『論語』を
何度もお読みになっていると思うのですが、
いちばん魅力のある文章といいますか、
それはどこでしょう。邱さんなんか・・・・・・』
邱 :「そうですね。
私は『人よく道を弘む、道、人を弘むにあらず』ですか、
あのコトバが好きですね」
池島:「つまりどういうことですか」
邱 :「道ということばは、いろいろに解釈できますが、
道徳の道も道だけれども、
いちばん原始的な観念から言うと、
普通の人間の通る道だと思うのですよ。
人間の通る道があるから、
そこを人間が通るのではなくて、
人間がどうしても必要があって、
しょっちゅう通るようになるから、
そこに自然に道ができるようになるものだ。
これは道ができあがる過程を観察しても
実際そうだし、
人間の道徳でも、たとえば、
やみ米を買っちゃあいかんと言っても、
必要に迫られれば買うわけですよ。
だからやみ米を食ったら法律に触れるというようなことが、
かってあったわけだけれども、
それは法律のほうが間違っているという具合に、
私なんか解釈する。
そういう解釈はいろいろできますけれども、
孔子の考え方のなかに、
一つの基本的にこういうものがあるのだなあ、
という感じがいつも・・・・・・・・・」
池島:「いつも人間が先ですね。」
(以上『歴史よもやま話』東洋編 昭和41年)
ここで紹介されている
『人よく道を弘む、道、人を弘むにあらず』は
邱さんの著作にときどき引用され
邱さんの生き方を探究する上で
一つの鍵になると思ってきた言葉です。
そう思う私にとって、この邱さんの発言は
かなりの値打ちものです。
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