第523回
「サラリーマンは定年後の人生設計がすべて」
私が邱さんの文章を読むようになったきっかけは
サラリーマンを選んだ以上、
避けて通ることができない「定年」の問題を、
自分なりにどう解決していくのか
という意識からでした。
そんな私にとって
「自分の意識はそうズレたものではないようだ」
ということを教えてくださったのは
『貧しからず富に溺れず』における次の記述です。
「サラリーマンが将来について
心配しなければならないとすれば、
それは多分、定年後の生活設計に尽きる。
定年後の生活設計がちゃんとできてさえおれば、
つまり死ぬまで、あまり収入も減らず、健康で、
サラリーマンの延長線上で
仕事ができて行く見込みさえたてば、
本当は一生、お金に縁などさしてなくても
別にかまわないのである。
ところが実際問題として、定年になると、
まとまった退職金をもらえる代わりに、
それがていのいい手切れ金みたいになって、
もうそれっきり会社に行けなくなる。
部下たちから送別会をしてもらい、
『時々は会社に姿を見せてくださいよ』
などと挨拶されるが、
それを本気にして会社に出かけて行っても、
昔、自分が使っていた机には、
昔の部下だった人が坐っており、
昔の上司をどこに坐らせたらよいのか、
またどんな話をしたらよいのか、
当惑したような表情をされるのがおちである。
恐らく退職した人が一度は経験するだろうが、
『もう自分の来るところではない』と悟られて
二度と会社に足が向かなくなるであろう。
何事も『終わりよければすべてよし』というが、
サラリーマン生活は、
あとの準備ができていなかったら、
『後味の悪い』商売の一つである。
とくに一番最後が一番悪い。
無我夢中で一生懸命働いてきた、
一生会社のために捧げてきた、
そういう気持ちであればあるほど、
『何かを間違ったのではないか』
と思いたくなるような終着駅が
そこに待っているのである。」
(『貧しからず富に溺れず』)
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