| 第395回「生きる基準を自分に言いきかせ、
 心の満足を得るのが最高の生き方」
 「第一志望に敗れたからといって、嘆き悲しむことはありませんよ」と邱さんは「金儲け自伝」の最後のところで述べておられます。
 この文章を書いたときの邱さんは47歳でしたが、
 それから、25年後、
 つまり72歳になって書かれた『生き方の原則』で、
 この点をどのように書いておられるのかと思って、
 本を手にすると、まえがきのところで、
 「第二志望の人生しか歩めなかった私」と題し
 「人間の幸せは主観的なもので、
 自分が何を基準に生きているかを自分に言い聞かせ、
 それを守って心の満足を得られたら、
 それが最高の生き方である」
 と書いておられることを知りました。
 その部分を引用させていただきます。
 「私にとっての安らかな人生とは、平々凡々で何もやらない人生ということではなくて、
 波乱万丈のなかにあっても、何とか生命に別状がなくて、
 恥をかかないですむ人生というほどの意味であります。
 また人間の幸せは、家庭や家族に恵まれているとか、
 お金に困らないとか、
 世間からしかるべく認められているとか、
 客観的な条件も、もちろんあるけれども、
 基本的にはもっと主観的なもので
 自分がそう思っているかどうかにかかっています。
 そういう意味では、貧乏をしようと、スリリングな場面の連続であろうと、
 自分がそこに生き甲斐を見出すことができればいいのですから、
 何を基準にして生きるかを自分にいいきかせ、
 それを守って心の満足を得ることができれば、
 最高の生き方だと言えるでしょう。
 さいわいなことに、何回となく生命にかかわるような目にあい、また経済的なピンチにも見舞われたりしましたが、
 そのたびに最悪の状態をくぐり抜けてくることができました。
 ならば自分がやりたいことは何でもできたかというと、
 必ずしもそうではありません。
 トップは切れなかったが、第二志望、
 第三志望くらいの人生ではなかったかと思います。
 従って、他人さまに
 生き方を教えられるような立場にはありませんが、
 恐らく多くの人たちも私と同じように
 自分の第一志望の人生を歩んではいないでしょう。
 とすれば、私が自分の人生に課した生き方の原則が、
 あるいはいくらかでも参考になるかもしれないと
 思わないでもありません。」
 (『生き方の原則』「第二志望の人生しか歩めなかった私」)
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