第385回
邱さんは「安定」より「不安定」を好みます
「安定」と「不安定」という言葉を反芻していたら、
邱さんの文章を読み始めたころに出会った言葉が
浮かんできました。
たまたま、邱さんの談話が出ているというので
その雑誌を手にとり、邱さんの言葉を追うと
「自分は権威とか安定とかが嫌いで、
不安定の中に自らを置いて、
全くの駆け出しの精神でやろうという気持ちを
持ち続けています」
という発言に出会いました。
「ふつう、みんな、『不安定』を避け、
『安定』を求めるというのに、
邱さんはなぜかみんなと反対のことを
おっしゃっている。
一体、これはどういうことなのだろう」
と思いました。当時、邱さんは55歳でした。
それから6、7年たった頃のことですが、
朝日新聞紙上で邱さんがある女流作家と
往復書簡を交わすことになり、
邱さんがその作家に向けて書いた書簡が
掲載されましたが、そこでも、やっぱり
「自分は不安定な状態に身を置くようにしている」
と書かれていました。
邱さんは60歳を過ぎておられたと思います。
以前とまったく同じことを
おっしゃっておられるなあと思ったことでした。
「不安定」といっても、
物質的な意味での「不安定」でなく、
精神的な面での「不安定」を
さしておられると解釈していますが、
こうした経過を経て、私は、
邱さんは人生に対する一つの信念として
「精神的に安定した状態を極力避け、
不安定な状態に身を置くようにしている」
ということに気づくようになりました。
「不安定な状態にわが身を置くと、
なんとか不安定な状態から脱け出そうと必死になって
努力するからいいんだ」と
どこかで書かれているのを読んだことがありますが、
精神的に「不安定」な状態にあることを
明日に向けてのバネにして生きる
という方法があることを
教えてもらったと思っています。
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