Qさんは、かつて「知恵は借り物でも知恵である」と書きました
そういうことをおっしゃる人の知恵ならいくら借りてもモンクは出ませんね

第346回
目標達成の満足感が次の行動へのジャンプ台になりました

私は自分の人生のコースについて考え悩んでいる
31歳の青年から質問をいただきましたが
その3日後に、返事を書くことにしました。

最初の質問は、私が新日鐵を辞めるときの動機は
どういうものだったかで、私が辞めたのは50歳のことで、
一方、青年は31歳で、ズレがあるでしょうが、
私は自分の体験をふりかえりつつ返事を書きました。

「最初のご質問は
『長年勤めていらした会社を辞めるときに
 勇気をあたえてくれたことや
 きっかけや動機は何だったのでしょうか』でしたね。

私の場合も自分なりの人生コースを
開拓しなくてはと思いつつも、
具体的にどうしたいのかということがわからず、
35、6歳のころからずっと
悶々とした気分の日々がつづきました。

その原因は一つの種類の仕事ばかり
続けてきたからではないかと思い、
40歳を節にして、自分が経験したことのないところで
働くようにしました。

その仕事が3年続き、43歳になったときに
古い製鉄所でたくさんの土地が遊ぶようになり、
それを活かして何か新しい事業が考えられないか
というテーマに取り組むことになりました。

すっかり人が少なくなった環境のなかでの事業企画で、
これまた心は晴れないことでしたが
新しい事業の企画で失敗をしたことで目が覚め、
いまも存続する事業を生み出すことができました。

そのあとテーマパークのPRとか、
ホテルの誘致に取り組むことになり、
一段落したころには、自分が49歳になっていたのです。

ふりかえると結構やってきたじゃないか、
これから先は、自分本位の人生を探求しても
許されるだろうと考え、
社内の関係者にもこれから先は
自分の実力で活動できる場を開拓したいと宣言して、
外に出たということです。

ということで、はなはだ日本的ですが、
私は、自分に求められていた役割は果たした
という達成感がジャンプ台になって、
社外に飛び出していきました。」


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2003年8月8日(金)

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