第345回
自分にあった仕事はあれこれやって見つけるほかありません
私に質問を投げかけてきた青年の悩みは
「自分の人生を開拓するためには
何かをしなければいけない
ということは頭ではわかるのだけれど
具体的に何をすればいいのかがわからない」
というものでした。
私も30歳台半ばから40歳に至るまでの間に、
同じような悩みをもったことがあり、
なぜこんなにも悩むのか、わけがわかりませんでしたが
考えた末、自分がおちいっているのがマンネリというもので
同じ種類の仕事を続けてきているせいではないか、
こういう仕事をこれから続けても成長がなく、
つぶしのきかない人間になってしまうのではないか、
といったことを心配し、
経験したことのない部署に移ることにしました。
40歳の頃のことです。
たまたま異動した職場が、長年赤字に悩んでいた部署で、
嫌なところに来たなあと思いましたが、いまから思えば、
赤字が続いている組織の空気がどういうもので、
また赤字を黒字に転換させるにはどういう療法が必要で、
またそうした療法を実施するにあたって
当事者はどう反応するものかといったことの
一部始終を体験することができました。
そのあと、すっかり寂しくなってしまった
近代日本鉄鋼業の発祥の地、八幡製鉄所で
遊んでいる土地を活かして、
何か新規の事業を考えてほしいと命じられ
「こんなところで、何ができるんだろう」
とぼやいたものですが、
自分の企画力不足を思い知らされることになり、
そのため、新しい事業を生み出すことができ、
新規の事業を企画するコツを習得することができました。
そのあともテーマパークのPRとか、
ホテルの誘致などの仕事が続き、
気がつけば、もう49歳。
うかうかしていると、後半の人生を託せる仕事を
見つけられないぞと心配し、
その結果、私は50歳になる節目のところで
研修の講師という職業に出会い、
長年つとめていた会社を辞めることにしました。
こうした体験から、私は自分にあった仕事は
あれこれ体験しながら、
そのなかで見つけていくものではないかと考えています。
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