第327回
「時間の使い方は必要に迫られて覚えるもの」
20年ほど前に読んだ『野心家の時間割』を
いま手にとりページをめくりますと、
最初に読んだときに
つよい印象を受けた文章に再会するほか、
はじめて読んだときはピンとこなかったけれども
いま再読して、はじめて本当にそうだなあと
感じるところがあります。
この本をはじめて手にした頃から比べると
いまのほうが少しばかり忙しくなっていて、
時間に対する感度も多少、
高くなったためかなと思っていたら、
本の末尾に私がいま感じたことが書きこまれていましたので、
ビックリしました。その部分を抜粋させていただきます。
「ふりかえってみて、『時間の使い方』は
人に教えられて上手になるよりも
必要に迫られて覚えるものだという気がする。
しかし、わずかな時間もなくなるほど
忙しい思いをするのは他動的にそうなるものではない。
サラリーマンという『時間の切り売り』をしている間は、
丸ごと売らずに切り身で売っているから、
目がまわるほど忙しいということはあり得ない。
本当の忙しさは自分でつくり出すもので、
自分でつくり出した仕事に夢中になっているうちに、
次から次へと時間が埋めつくされるのである。
したがって、手帳をひらいても白いスペースが多く、
電話で時間の約束をする時に、
手帳を見ないですぐ返事のできる間は
まだ野心家の仲間入りをしているとはいえない。
白いスペースを自分で埋めていくうちに、
だんだん時間のあきがなくなってくるのである。
そのへんまできてからもう一度、
私の文章を読みなおしていただければ、
もっと実感が湧いてくるのではないだろうか。
忙しくなることが第一で、
忙しくなればしぜんに時間の使い方が上手になることは
まず間違いないであろう。」(『野心家の時間割』)
ということなので、昔この本をお読みになられた方も、
もう一度この本を手にとってページをめくると
新しい発見があるかもしれません。
そしてさらに数年後に読んだら、
また新しい発見があるかもしれません。
|