第257回
「虚栄心を捨てて与えられた職場を力いっぱい生きよう」
『みんな年をとる』が出版されたのは
私が50歳になるときのことでした。
自分が年をとるという意識はないものの、
大きな組織を離れて世の中にとび出し、
不安感が充満していたころのことでした。
だからこの本の文章はかなり熱心に読みました。
「年をとっても、やる仕事がいくらでもある人は
時間をもてあますことはない。
反対に、定年になって退職したとたんに
何をやってよいかわからなくなる人は、
少々くらいのお金の余裕があっても、
時間を持て余すようになる。
だから、『お金の心配より仕事の心配』と私は言った。
私のように、自分で次から次へと
自分のやる仕事をつくり出す人間には
仕事がなくなるという心配はないが、
自分の仕事を自分でつくり出す習慣を
身につけていない人は、
お金があって定年後の生活に困らないといっても、
路頭に迷ってしまう。
仕事をしに行くあてもないが、かといって家へ帰って
粗大ゴミの扱いを受けたくないということになれば
それこそ一日中、街をうろうろしているより
ほかないからである。
そういう人はまず仕事を探すことである。
収入なんかそんなにたくさんなくてもよい。
年をとれば、食事の分量だって減るし、
ゼイタクをすることにそんなに興味をもたなくなる。
あまり着るものにこだわらなくなると、
貧乏たらしく見えるから、
少々きちんとした身なりをする必要はあるが
そんなにお金を使うチャンスもないのだから、
多くを要求することもない。
あとはみえにこだわるかどうかの問題で、
こだわりが克服できればいくらでも仕事がある。」
(『みんな年をとる』)
ということで邱さんが例示するのは
「ビルの管理人、駐車場の管理人、
病院や福祉事務所の事務員」(同上)
といった仕事です。
「前の会社に行ったときにきかれて返事に困るとか、
同窓会に行ってカッコが悪いと思う人は
虚栄心がまだ死んでいない人である。
そういう過去にこだわらずに、
あたえられた職場を力いっぱい生きることのできる人は
気持ちも明るくなるから、人にも大事にされるし、
新しい友達もできる。
新しい職場で新しい友人ができるほど
心強いことはない」(同上)
「ああそうか、年をとって仕事がなくなれば、
マンションの管理人の仕事をすればいいのか」
と私は一瞬気が休まったように感じたことを
思い出しました。
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