第233回
「一見無謀に見えても、いざとなったら用心深くなる」
邱さんの幼少期とか学生時代のことを知りたいと思う人は
『わが青春の台湾 わが青春の台湾』を読むのが一番でしょう。
この本を読めば、邱さんが台北高校の尋常科とか
高校時代に学校を代表する秀才として輝き、
校外でも大人の仲間入りをして
『台湾文芸』といった文芸誌に投稿していたことがわかります。
邱さんの文芸の世界への傾斜は
周囲の人もてっきり、邱さんは文学部に進むものと思うくらい
熱の入ったものでしたが、邱さん植民地生まれの人間では文学で
メシは食えないと、進学先は経済学部を選びましました。
さて、当時邱さんが進学先に選んだ頃の東大の
経済学部は経済学科と商業学科の二科があり、
入試の時点で、どちらのコースを選ぶのかを
選択しなければなりませんでした。
一般に経済学科のほうが入るのが難しく、
商業学科のほうが入りやすいコースで
邱さんは、入りやすい商業学科を選んだのですが
そのときの判断についてふれた文章があります。
「なぜ自信満々の私がわざわざ商業学科を選んだかというと、
経済学科に比べて競争率が低く、
まかり間違えても失敗することはないだろうと
踏んだからであった。
生意気盛りの私は誰にも負けないという自信があったが、
それはあくまでも日本の一植民地に過ぎない
台湾という田舎舞台においてのことであった。
内地に行けば、一高、東大というエリート・コースを
スイスイ泳いであがる秀才たちも
手強いライバルでいるに違いない。
なにせ東大の合格率を見ると、どん尻が学習院高等部で、
ブービー賞をもらえる位置にいるのが台北高校と来ている。
そんな片田舎の高校で“お山の大将”をきわめたらからといって、
そうそう調子に乗ることもできまい。
一見無謀に見えても、いざとなったら用心深くなる
私の性癖がこんなところにも見えている。
おかげで私はなんなく東大に入学できたが、
のちのちの人生においてもこの鉄則を守ることによって、
命拾いをしたり、きびしいピンチを切り抜けることができた」
(『わが青春の台湾 わが青春の台湾』)
こういうことを頭に入れて、邱さんの作品を読めば
また新しい発見があるかもしれません。
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