| 第218回「無一文になったときの覚悟はよいか」
 邱さんは食卓を囲んで食事を楽しむ時、どうして親が倒産する話と親が死んだ時の話を好んで
 話題にしたのでしょうか。
 邱さんによれば中国人にとっては頼るべきは自分以外になく、人生の活路を開くことに真剣になると同時に、片方では
 「いつでも無一文になった時の覚悟ができているか」
 と自分に言いきかせることが大切なのです。
 「たとえば、私はコイン・オペのクリーニング屋を早くはじめたひとりであるが、
 お店をつくる時に借店するよりも、
 土地、建物ごと買う方を選んだ。
 商店街にある10坪か15坪くらいの店舗は、大抵、
 二階建てになっていて、階上が二間か三間の住宅になっている。
 私は、その二階にあがる度に、
 『いざとなったら、一家5人でここに住むことにしよう』
 と言うものだから、不動産屋にまで笑われたが、
 別に冗談を言ったわけではない。
 ビルを建てる度に、マンションをつくる度に、
 『いざとなったら、この屋上にすめばよい』
 と思いながら、つくったので、しまいには、
 『いざという時』に行くところが何十もできてしまった。
 しかし、今でも、『万一、全財産を失ったら』という発想が頭から拭い去られたわけではない。
 そういう考え方だから、うまくいった時の夢も語らないわけではないが、
 奈落の底につきおとされた時の場面も想定して、
 対策を考える。
 とりわけ子供たちは、何不自由ない環境に育っているから、
 『いざという時』の用意ができていないと困る。
 したがって、食卓を囲んで食事をしながら、
 話題はどうしても倒産した時は
 どうするかといった問題に集中してしまうのである。」
 (『子育てはお金の教育から』)
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