第216回
「生き残るための努力が必要なのは自営業者も同じです」
私は定年の定めがある組織の中で働くコースを選んだので、
年をとり、ジッとしていたら、仕事からあぶれてしまう
立場に立ってしまったとばかり考えていましたが、
仮に自営業のコースを選んでも、年をとり、
世の動きとズレルようになったら、
同じだということに気づくようになりました。
『死ぬまで現役』のなかの次の一文が
そうしたことを教えてくれました。
「なまじ小金をためこんだばかりに、
人間はお金に頼ろうと考えるようになる。
もし生活に必要な貯えもなく、
定年後も身ひとつで生活していかなければならないとしたら、
誰もノンビリとは構えていないだろう。
すぐにも、次にメシを食っていくための手立てを考えるであろう。
そうしたやり方が、人間を定年後のスランプから
救ってくれるである。
定年を3年後、5年後に控えた人も、
そもそも定年のない人生を歩んでいる人も、
立場はいくらか違うけれども、
人生に対する姿勢にそう大きな違いはあるとは思えない。
定年がない仕事に従事しているから、
定年後の心配をしないでよいと思ったら、大間違いである。
なぜ会社に定年制があるかというと、
あとからあとから後続部隊があって、
押せ押せになっていることもあるが、
本当は人間、ちょっとでも安住のチャンスがあると、
つい油断をして時代の変化に対応していく能力を失う
習性をもっているからである。
そういう人間を淘汰して、次々と新しい選手を出さないと、
商売だろうと、学問だろうと、芸術の生活であろうと、
うまくやっていけないから、定年制を布き、
粗大ゴミの始末をしているのである。
このことは定年制のない会社でも、
基本的には何の変わりもない。
定年制のある会社なら、
時代に適応できなくなった老トルを整理して
会社の活性化をはかるが、
定年制のない家族会社とか、商店になると、
時代に合わなくなった老トルがいつまでも居座っているから、
定年がない代わりに、会社そのものが適応性を失って
店じまいまで追い込まれてしまう。
生き残るための努力は定年制のあるなしにかかわらず、
体験を積んだばかりに駄目になって行く人間に
課せられた起死回生の条件といってよいだろう。」
(『死ぬまで現役』)
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