第214回
「人生の最後の4分の1くらい自分の生き方を選択したいもの」
『私は77歳で死にたい』のなかの文章の続きです。
サラリーマン生活を送ってきた人には
しみじみと感じられる文章ではないでしょうか。
「受動的なサラリーマン生活を送ってきた人は、
おとなしく自分の職を守ってきたのだから、
自分のサラリーマン生活に不満を感じていないか、
と言うと必ずしもそうではない。
出世しなかったことに対する不満もあれば、
上司や同僚に対する不満もある。(略)
もしそんな不満があったら、私ならすぐにも上司に意見を述べて
それが受け入れられないようなら、自分の職場を変える。
ところが世の中には優柔不断な人が結構たくさんいて、
一日また一日と解決を先に延ばし、気がついてみたらはや
定年が目睫に迫っていたというケースも珍しくない。
そういう人にとって、定年くらいライフスタイルの切換えに
絶好のチャンスはない。
好むと好まざるとにかかわらずクビを切られるのだから
今まで働いてきた会社と一つの区切りができる。
会社を退職したあともまた会社のお情けにすがって
会社の関連企業で世話になるか、それとも会社にさよならして
自分なりの生き方をするか、のどちらかである。
今までの仕事に愛着もあり、未練もあり、
また地位も格下げになったとしても、顧問とか嘱託とか、
肩書こそ変わるが、同じ職場に残るという手がある。
また、自分で新しい職場を見つけるより
会社に斡旋してもらったほうが安心できると思う人は、
子会社や孫会社に移ることもできる。
いずれも決断の時期を先送りするサラリーマン生活の
延長といってよいであろう。
しかし、『もう働くだけ働いたのだから、あとは悠々自適の
生活を送りたい』と思う人もあれば、
『優柔不断でつい定年まで性のあわない仕事をやってきたが、
この際、自分の好き勝手に生きたい』と言う人もある。
そういう人にとって定年くらい区切りのよい制度はない。
60歳を過ぎたら人生の最後の4分の1くらい
せめて自分の生き方を自分で選択したいものである」
(『私は77歳で死にたい』)
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