第212回
「残された時間をどう使うかは自分できめること」
私は定年問題にどう対処するかという意識から、
邱さんの作品にアプローチするようになりました。
だからそのことにふれる邱さんの作品には敏感です。
『私は77歳で死にたい』にはそうした関心にふれる
作品がたくさん書かれています。
「まだ時間がいくらでも残っている人と、
もういくらも残っていない人とでは、
時間に対する考え方も違うし、
時間の使い方も当然違ってくる。
ふんだんに時間を持っている人は、
少々時間の無駄をしても、
あまり気にしない。
と言うよりも、時間は貯めておくことのできないものだから、
時間をもてあますことが多く、
時間そのものに値打ちがあると思わないのが普通である。
ところが、あと何年生きるのか、死ぬ時期から逆算して
生きている時間が計算できる年齢になると、
持ち時間が気になり出す。
ならば年寄りは皆、時間を大切にしているかというと、
話が逆のことが多い。
多分、年をとると、
頭も身体も動きが鈍くなって、
世間から相手にされなくなり、
残り時間が少なくなっても、
やることがなくなって時間があまってしまうからである。
定年退職とは、いわば人間の能力を見限って
体よくお払い箱にすることである。
と言うのも、人間は年齢を重ねると、
地位も高くなるし、収入もふえるが、
ある年齢を境として心身共に衰えはじめ
だんだん使い物にならなくなってしまう。
だから定年制を設けて、58歳なら58歳、
60歳なら60歳を退職の年齢と決め、
退職金を払って会社を辞めてもらう。
合理性とか、企業採算とかといった判断からすれば、
これは納得のいく制度である。
しかし、気力が衰え、老化がすすむといっても、
人によって個人差がある。(略)
また会社側としてもロートルを追っ払うのはよいけれども、
人手不足の世の中になって思いように若い者が集まらず、
老人に辞められるとかえって困るというケースも生じている。
(略)が、何よりも必要なことは、本人が残された時間をどう使うか、
自分で考えることであろう。」(『私は77歳で死にたい』)
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