Qさんは、かつて「知恵は借り物でも知恵である」と書きました
そういうことをおっしゃる人の知恵ならいくら借りてもモンクは出ませんね

第200回
「末世の思想が抜きがたいほど根をおろしている」

邱さんは「今は駄目でも、いつまでも駄目ではない。
いつかは扉がひらかれる」
という考え方をするようになった理由として、
二度と故郷には帰れまいと思っていたところ、
故郷を離れて20数年もたってから
台湾の国民政府から帰国するようにとの要請を受け、
思いもしなかった帰国が実現するといったことを
体験したからと説明しています。

しかし、邱さんが台湾に帰るようになる4、5年前の
昭和42年に書いた「年をとらない法」には
「世の中はだんだんよくなっていくもので、
だんだん悪くなるという考え方はしないほうがいい」
と未来を楽観視する見方が述べられています。

「年をとらない法」は
将来、日本の社会が老齢化することを予想し、
年をとっても、精神的に若さを保つ方法を
探究している作品です。
そのなかで、邱さんは、
年をとり、残り時間が少なくなると
「世の中はだんだん悪くなっていく」という
悲観論が根を張ってくると指摘しています。

「人間はみな自分の持ち時間を
生きているようなものであるが、(略)
持ち時間が少なくなってくると、
残された持ち時間をどう使うか工夫することよりも、
すでに使ってしまった時間のことばかり
思いだすようになってくる。

こういう懐古趣味は老人に特有のものであるが、
若い人もたまにはある。
たとえば地方の文学青年で名所旧跡や古書文物に
異常な関心を持ちながら、生きている人間に対しては
敵意に似たような感情を抱いているのを見かけるが、
これなどは若くして早くも老化現象が
露呈しているようなものである。

反対に年をとっても、『永遠の青年』といわれる人は、
『使ってしまった時間』についてくよくよしないで、
『残された時間』をいかに使うか、よく工夫する人たちである。
『青年』と『永遠の青年』の違いは、
青年には『残された時間』という概念が無いのに対して、
『永遠の青年』にはそれがあることである。
それは現実に持ち時間に相違があるからである。
したがって『青年であることは物理的に不可能だが、
『青年のごとくあること』を死ぬまで続けることである。

その一番よい方法は、何と言っても
『使ってしまった時間』のことを忘れて、
『残された時間』の使い方について考え、
かつそれを実行に移すことであろう。
この世はとかく頭の痛いことが多いので
『世の中はだんだん悪くなっていく』
という末世の思想が抜きがたいほど根をおろしている。」
(『年をとらない法』昭和42年執筆)


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2003年3月15日(土)

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