第198回
邱さんの人生観には実地体験が裏打ちされています
天安門事件が起こったのは平成元年のことですから
あれからもう15、6年の年月がたちました。
あなたはテレビの画像を通して送られてきた
この事件の報道に接して、どう思われましたか?
私などは戦車を出し、また若者に銃口を向け、
「中国の為政者は野蛮だなあ」
「こんな中国が普通の国になるのは難しそうだな」
と思いました。
しかし邱さんは私のような考え方には
ほとんど同調しなかったといいます。
邱さんの意見を聞きましょう。
「どうして私がそういう発想をするかというと、
私自身そういう体験を何度となく
くりかえしているからである。
皆さんは天安門事件をテレビで見て
ショックを受けたかもしれないが、
あの程度のことなら世界中、アチコチで起こっている。
台湾でも戦後に少なくとも2回は起こっている。」
(「今は駄目でもいつまでも駄目ではない」
『金儲け・発想の原点』に収録)
と言って邱さんが挙げるのは
1947年2月28日に起こった2・28事件です。
外省人の横暴に怒りを爆発させた台湾住民の自治の要求に
蒋介石の部下らは直面し、交渉に応じる姿勢を見せる一方
近代兵器を装備した軍隊の応援をあおぎ、
彼らが台湾に上陸するや無差別銃撃をはじめ、
1万人以上の台湾人が銃撃されたり、
行方不明になったりしました。
この事件が動機になって邱さんは
「台湾を中国から独立させる以外に
台湾の人たちが幸福になれる道はない」
と考え、ひそかに香港に逃れて
国民投票を要請する請願書を出しました。
そのため、邱さんは故郷の土を踏むことができなくなり、
父親が死んだ時も、母親が死んだ時も、
その死に目にあうことができず、
再び故郷に帰ることをあきらめていました。
しかし昭和46年の秋に中共の国連加盟が実現し、
台湾政府が、国連から脱退することになり、
台湾中がひっくりかえるような騒ぎになった時期になって
国連の使者が邱さんのところにきて、
是非台湾に帰ってきて欲しいと懇請しました。
「身をもってこうした変転の激しい体験をしてみると、
昨日まで駄目だと思っていたことでも、
いつまでも駄目ということはないんだなあ、
という気がしてくる」(同上)と邱さんは書いています。
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